レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2019/09/13
- 登録日時
- 2019/09/30 00:30
- 更新日時
- 2019/09/30 00:30
- 管理番号
- 滋2019-0014
- 質問
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解決
滋賀県出身の幕末・明治の人物、淡海(板倉)槐堂についてのまとまった記述の文献(単行本、研究紀要、図録など)等があれば、教えてほしい。
- 回答
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淡海(板倉)槐堂(淡海緝 1823-1879)は、坂田郡下坂中村(現在の長浜市下坂中町)の下坂家出身で、幕末に京都で諸藩の勤王の志士と交わって活動した人物です。漢詩や南画の名手でもあり、坂本龍馬が暗殺された当日に龍馬を訪ねて「梅椿図」を進呈したことも有名で、龍馬の血痕が付着したこの絵は、国の重要文化財に指定されています。
また、写真術をいちはやく習得し、安政6年に京都鳩居堂主人を撮影した湿板写真は、現存する京都最古の写真と言われ、京都市の指定文化財となっています。
槐堂については、以下の文献が確認できました。
①『近江坂田郡志』
槐堂(近江緝)の事績が約3ページにわたって文語文で記述されています。
『維新に活躍した近江の人びと』や『長浜の人物』には、坂田郡志と同様の内容が、口語文でわかりやすく述べられています。
②「見落とされた幕末「志士」板倉筑前介(近江槐堂)」(長浜のタウン誌『みーな』125号・特集「近江の幕末維新」の中の記事)
この記事では、歴史地理史学者の中村武生氏が、京都で土佐山内家と交流を深めた槐堂が「並修館」という文武道場を設置したことや、彦根の井伊家のためにも尽力したことなどを紹介し、「薩長勢力によってのみ維新がなされたわけではないと考える立場にたつとき、板倉の存在は誠に興味深い。」と述べておられます。この記事に、文久3年の槐堂の書簡が2通(1通は写真入りで)紹介されています。この書簡は、長浜城歴史博物館所蔵の「下坂家文書」に含まれているとのことです。
また、中村氏の「幕末期政治主要人物の京都居所考」(『建築と権力のダイナミズム』所収)によると、『龍馬殉難ひろい話』(西尾秋風 私家版)という本に、「淡海槐堂先生畧伝」(実弟・江馬天江が書いた槐堂の伝記)が載っているとのことですが、同書は当館未所蔵のため、確認はしておりません。
③『長浜市埋蔵文化財調査資料第61集 下坂氏館跡総合調査報告書』
この本は、槐堂が生まれた下坂家に関する遺跡調査報告書です。同書第5章第3節「近世の下坂氏」には、下坂家文書についての記述があります。以下に引用いたします。「「下坂家文書」では、特に重要文書を巻子装にして保存している。5巻の巻子の内、甲巻は既述した中世文書が収められているのに対し、乙・丙・丁・戊の4巻は近世の下坂氏親類縁者からの書状類が中心である。この近4巻の内容検討は、書状類が多く難解で今後の研究を俟つところが大きい。」とのことです。
槐堂の書簡もこの中にあるのではないかと思われますが、この本では触れられておりません。
下坂家文書に関するくわしいことをお知りになりたい場合は、長浜城歴史博物館(https://www.city.nagahama.lg.jp/section/rekihaku/)(電話:0749-63-4611)にお問い合わせください。
また、同じく第5章第4節「下坂家が輩出した幕末・維新の偉人」には、槐堂と弟の江馬天江について簡潔に記述されています。
④その他
『長浜の「歴史」』には、中世における有力な豪族としての下坂氏の歴史が記述されています。この本は、国会図書館のデジタルコレクション(図書館送信限定資料)でご覧になることができます。『史談会速記録』には、「淡海槐堂氏の事暦書」という文があります。この中には、京都の槐堂の道場に集まっていた人物名や、長州藩とのやりとり、また、槐堂がいつどのように役職を授けられたかなどが10ページにわたって載っています。『京都名家墳墓録』には、槐堂の墓の場所(京都・岡崎)と、碑文があります。また、『近代文人のいとなみ』には、槐堂の人物紹介が1ページと、書・絵の図版が3点掲載されています。
⑤辞典類
『日本の写真家』には写真家としての槐堂が簡単に紹介されています。『明治維新人名辞典』・『幕末維新人名事典』・『贈位諸賢傳』にも、槐堂の項目があります。
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
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- 個人伝記 (289 8版)
- 参考資料
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- 1 近江坂田郡志 下巻 坂田郡役所∥編 賢美閣 1980年 S-2160-3 p.832-835
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2 近江人物志 滋賀縣教育會∥編輯 文泉堂 1917年 S-2800- 17 p.776-779(坂田郡志と同一の記述) -
3 維新に活躍した近江の人々 竹内将人∥著 滋賀県日本国民会議 1968年 S-2800- 68 p.55-56 -
4 長浜の人物 長浜市立図書館∥編集 長浜市立図書館 1993年 S-2861- 93 p.69-70 -
5 みーな -びわ湖から- 通巻125号 長浜みーな協会 P p.26-27 -
6 建築と権力のダイナミズム 御厨貴∥編 井上章一∥編 岩波書店 2015.3 3-5231-ミ p.233 -
7 長浜市埋蔵文化財調査資料 第61集 下坂氏館跡総合調査報告書 長浜市教育委員会∥編集 長浜市教育委員会 2005年 SB-2261-61 p.58-63 -
8 長浜の「歴史」 滋賀県立長浜北高等学校歴史部∥編 滋賀県立長浜北高等学校 1974年 S-2161- 74 p.23-28(国会デジタルあり) -
9 史談会速記録 合本36 第258?267輯 史談会∥編 原書房 1974年 2-2105-36 p.520-530 -
10 京都名家墳墓録 下巻 寺田貞次∥編 山本文華堂 1922年 2-281*-キ* p.484 -
11 近代文人のいとなみ 成田山書道美術館∥監修 淡交社 2006年 G-7282-ナ p.25,27,92 -
12 日本の写真家 日外アソシエーツ株式会社∥編 東京都写真美術館∥監修 日外アソシエーツ 2005年 R-7402-ニ p.35 -
13 明治維新人名辞典 日本歴史学会∥編 吉川弘文館 1981年 R-2810-メ p.173 -
14 幕末維新人名事典 宮崎十三八∥編 安岡昭男∥編 新人物往来社 1994年 R-2810-ミ p.185 -
15 贈位諸賢伝 上 近藤出版社 1975年 R-2810-タ p.55-56
- キーワード
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- 淡海槐堂(オウミ,カイドウ)
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 本名のヨミは近江緝(オウミ,シュウ)(オウミ,アツムとしている本もあり) 生年月日は文政5年12月1日(西暦1823年1月12日)なので、生年は1822年でなく1823年とした。なお、槐堂を名乗ったのは、板倉姓を返上したのち。
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 人物
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000261926