・『岡山県大百科事典 下』(資料①)の「方谷」の項目には、「高梁市中井町西方の高梁川左岸にある国鉄伯備線の駅。松山藩幕末の学者山田方谷にちなんでつけられた国鉄唯一といわれる人名の駅。」と記載されている。
・『岡山の駅』(資料②)には、方谷駅について、「駅の名は、ここの出身で、備中松山藩の学者だった山田方谷の名をもらったもので、国鉄唯一の人名の駅として有名。…(中略)…駅名は、中井村の「中井」と付けられる予定だったが、駅用地の半分は山田方谷の旧宅跡であり、方谷が子弟を教えた長瀬塾の跡でもあったので、ぜひ方谷先生の名を後世に残したい、と猛運動を始めた。ところが、ときの鉄道省は“人名をつけた駅は前例がない”といって、どうしても受け付けてくれぬ。困ったところで一計を案じた。中井村に西方という地名がある。そこで、『方谷先生は“西方の谷”を号にされたのだ。人名ではなく、土地の名だ』と、無理にこじつけ、方谷に私淑した当時の小川平吉鉄道大臣に話を持ち込み、いまの駅名がついた、というエピソードがある。」と記載されている。
・『陰陽連絡の主唱者大儒山田方谷』(資料③)にも、資料②にあるエピソードと同様の記載がある。方谷駅の古い写真も掲載されている。
・『岡山の駅舎 カメラ紀行』(資料④)では、方谷駅の建築開業時期は「昭和3年(1928)10月」とされる。駅舎について「木造平屋建て切妻造りで桟瓦葺き。ホーム側に一間の吹き抜け下屋があり屋根は大波スレート葺き。外壁は下見板張りで、軒下と腰はモルタル塗り仕上げ。改装があったものの軒下には真壁が見られる。…(中略)…一面二線のホーム。路線面は駅舎より法面分離れ3メートルほど高い位置にあるためホームへは駅舎を出て倉敷方面に10メートルほど歩き路線面をくぐり階段で連絡する。駅で乗車券を販売される簡易委託駅。」と記載されている。駅舎の写真も掲載されている。
・『山田方谷の世界』(資料⑤)では、「明治元年(1868)に実質的に開塾された長瀬塾を翌年に増築して6棟とし、東舎・西舎・中舎などと名付けた。現在のJR伯備線方谷駅がその跡である。」と記載されており、方谷駅の写真も掲載されている。
・『入門山田方谷』(資料⑥)には、「長瀬塾とJR伯備線方谷駅」の項目があり、「長瀬塾は、現在JR伯備線方谷駅となっています。昭和3年(1928)の伯備線開業時に鉄道省は地名をとって“中井駅”又は“長瀬駅”にしようとしていましたが、地元住民達が「方谷」の駅名を請願し、全国で唯一の人名の駅をなったのでした。」と記載されている。
・高梁市公式ホームページ「方谷駅駅舎」(資料⑦)には、「中井町西方にあるJR伯備線方谷駅の駅舎が平成23年3月18 日に開催された国の文化審議会で答申され、登録有形文化財(建造物)になりました。…(中略)…駅舎は、南の高梁川に面して建っており、木造平屋建、切妻造セメント瓦葺です。南面の東よりには、車寄を設け、出入口としています。車寄では、柱を洗出しという技法を用いて、凝った意匠にするなど、ほかの駅舎には見られない特徴もあります。この車寄を主として、全体を直線的に仕上げており、非常に近代的な雰囲気を漂わせています。」とある。
・そのほか、『国鉄全駅ルーツ大辞典』(資料⑧)や山陽新聞記事の「駅舎のある風景 第5部4 伯備線 方谷駅」(資料⑨)にも、方谷駅について簡単な記載がある。