次の資料を調査したが、菊池高洲の経歴についてはどの資料も似通った記述が多く、
菊池高洲が高松藩士であったと明確にする資料はわからなかった。
・『讃岐人名辞書 増補改訂』(梶原竹軒/著 高松製版印刷所が1936年に発行したものを
藤田書店が1973年に復刻)[当館請求記号:K2810 K17 2]
本書に菊池高洲の項があり、「高松藩士菊池徐風の養子となる」とはあるものの
菊池高洲が高松藩士であったかどうかの具体的な記述はない。(772頁)
・『高松藩藩士録-藩士から牢人まで』(占部日出明/著・発行 2010年)
[当館請求記号:K2300 U1]
本書の「菊地助三郎武矩 号高洲」の項(84頁)に、「加藤勘左衛門子 一代刀指 国学書画を能す」とあり、
この記述の出典を香川県立文書館所蔵の「香川郡東村々牢人由緒書目録(弘化頃)別所家文書」、
「香川郡東郷騎馬役牢人役書上(文化頃)別所家文書」、「香川郡東村々牢人并一代刀指之分武役書帳、(ニ)(文政)別所家文書」、
「香川郡西村々家人為前藩士帳 牢人一代刀指(文政十年)小比賀家文書」としている。
一括して記述しているためいずれに 記述があるのかは特定できない。
はしがきによれば、本書は、主に図書館・文書館で得られた分限帳などの記録に基づき、
藩士のほか牢人・職人について五十音順の名簿にまとめた収録集としている。
人物によっては記述の出典として複数の記録をあげているものもあるが、菊池高洲の出典は、
上記香川県立文書館所蔵の資料のみとなっている。
一方、本書では、養子に入った先の菊池徐風についは、名前と出典のみの記述となっている。(84頁)
そこで、本項の出典とする『讃岐人名辞書 増補改訂』(梶原竹軒/著 藤田書店 1973年)を見たところ、
菊池徐風の個別の項目はなかった。恐らく菊池高洲の項の「高松藩士菊池徐風の養子となる」の記述から
導き出されたものと思われる。
(注:本書において、菊池を「菊地」と表記)
・『香川県人物・人名事典』(四国新聞社/編・発行 1985年)
[当館請求記号:K2810 S3 14]
本書の菊池高洲の項に、「高松藩士菊池除風の養嗣子となる」とはあるものの菊池高洲が高松藩士で
あったかどうかの具体的な記述はなかった。(31頁)
(注:本書において、徐風を「除風」と表記)
・『菊池高洲全歌集-翻刻及び語注』(井川昌文/著 1999年)
[当館請求記号:Ki24-3 911]
本書は、多和文庫蔵『高洲歌集』を翻刻し、解説と語注を付したもので、香川県高等学校国語教育研究会が
編集・発行した『国語 50・51・52号』から抜刷合冊したもの。
[2]菊池高洲について(1頁)で、高洲のことは『讃岐人名辞典』や、岡内綾川の『綾川先生文集』の中にある
菊池高洲の「墓碑銘」によって知ることができるとし、「生涯由佐に住みほとんど仕官することなく、塾を開いて若い人達を教えた。」と
記している。