レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2017年12月07日
- 登録日時
- 2017/12/15 12:43
- 更新日時
- 2018/01/17 14:53
- 管理番号
- 県立長野-17-115
- 質問
-
解決
群馬県渋川市に入沢という土地がある。天文13年に信州から入沢氏が移住したという石碑が建っている。
また、城めぐりをしているというある人のブログを見ると、天文7年に(信州にあった)入沢城が入沢氏から大井氏の手に渡ったらしい、という記載がある。
・入沢城を手放したらしい天文7年から、渋川に移住する天文13年までの入沢氏の動き
・天文7年に入沢城が大井氏に渡ったという記述の根拠となる史料
を知りたい
- 回答
-
『長野県の中世城館跡』長野県教育委員会 編集・発行 1983年 【N202/395】の21ページによると、入沢城は現在の佐久市のうち、旧南佐久郡臼田町に属しています。
築城・在城者は入沢氏、大井氏としていますが、推定であり確固とした文書によるものではないようです。文献として「南佐久郡古城址調査」、「向岳寺文書」、「諏訪御符札之古書」を挙げ、備考として「正慶2年北条時俊が住み、入沢氏を名乗ると伝える」とあります。
郷土の歴史を在野で研究した三石延雄氏の遺稿を編集発行した『一つの土器片から』三石高見編 櫟 2002年 【N223/105】では、入沢について「中世の歴史について正しい資料が乏しく謎が多い」とあります。
『臼田町誌 第3巻 考古 古代・中世編』臼田町誌編纂委員会編纂 佐久市・臼田町誌刊行会 2007年 【N223/106/3】にも入沢氏に関する記述は見られません。
戦国時代の絵図を解析した『平賀玄信の佐久支配』山崎哲人著 郷土出版社 1993年 【N223/81】という図書がありますが、前述『一つの土器片から』でも、「山崎哲人氏があれだけの資料を集めて書かれた『平賀玄信の佐久支配』の中に入沢氏の名は出てこない」とあります。
『一つの土器片から』では、『青沼の自然と歴史』青沼の自然と歴史刊行会 編集・発行 1965年 【N223/13】の184ページの「吉祥寺」に関する記述、「天文九(一五四〇)武田信玄が佐久に攻め込んだ時、月夜平や入沢城において入沢時広は武田軍と戦ったが敗れて一部は上州渋谷(本文のまま。「渋川」と思われます。)へ、一部は村上義清の軍に属してこの地を去った。」を紹介しています。
また渋川市入沢の入沢家所蔵の家系図からは、武田氏が入沢城を落とした天文九年には入沢氏は入沢城におらず、現在の上田市の戸石城にいたと判断できるようです。入沢氏は代々村上氏に従ってきたようですが、天文十三年に第10代時広が上杉との密事が露顕し越後へ落ち、息子である11代時吉が渋川へ逃れたとあるようです。天文七年に入沢城が入沢氏から大井氏の手に渡った、という説の根拠となるような史料は紹介しておりませんが、天文七年と大井氏に関する史料では、現在上田市の前山寺にある鰐口に「天文七年八月十五日 大井美作沙弥源昌 信州佐久郡青沼郷八幡大菩薩の御宝前に鰐口を寄進奉る」と刻まれていることを紹介しています。
『長野県の中世城館跡』で挙げられている文献として「南佐久郡古城址調査」がありますが、こちらは昭和10年(1935年)に信濃教育会南佐久部会の編集で、南佐久教育会から発行された同名の図書のことと思われます。1978年に歴史図書社が復刻して(【N223/2】)いますが、入沢城については「城主については何等の事歴も知るに由なく全く不明である」とあるものの、北条氏を祖とする入沢氏の伝承に触れています。
同じく『長野県の中世城館跡』で挙げている「諏訪御符札之古書」は、『一つの土器片から』によると、応仁三年(一四六九)、文明十四年(一四八二)の諏訪神社の祭礼に関する入沢長助、長義(親子と推測される)についての記載とのことです。これ以外には両名に関する史料はなく、また渋川市入沢の入沢家所蔵の家系図にも両名の記載はないとのことです。
- 回答プロセス
-
入沢城について『長野県の中世城館跡』で確認。旧臼田町、現佐久市にあることがわかる。
また、城郭研究でよく使用される資料である『信州の山城と館 1 佐久編』宮坂武男著 戎光祥出版 2012年 【N208/66a/1】(私家版、長野日報社が発行していた『図解 山城探訪』の本編、補遺編、拾遺編を編集したもの)を確認。
「入沢城」と、関連のありそうな「入沢長義の古宅(道薫屋敷)」の項がある。
前者の項で、天文7年の城主交代に関して「天文7年(1538年)大井美作弥沙源昌が大井庄青沼郷八幡に寄進した鰐口(塩田前山寺に現存)から、城主が入沢氏から大井氏にかわったことが伺える」としている。(依頼者が閲覧したブログの根拠か?)
後者の項で、入沢氏に関して『一つの土器片から』を紹介しているので、同書を確認。
入沢(地名)について、「中世の歴史について正しい資料が乏しく謎が多い」としている。
入沢が含まれる旧臼田町の町誌『臼田町誌 第3巻 考古 古代・中世編』にも入沢氏に関する記載が見られず、また郷土史誌に関する雑誌論文を検索しても該当しそうなものは見つからず、『一つの土器片から』が現時点で最も入沢氏に関する詳しい文献と思われる。
- 事前調査事項
- NDC
-
- 系譜.家史.皇室 (288)
- 参考資料
- キーワード
-
- 入沢氏
- 入沢城
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介 事実調査
- 内容種別
- 郷土 人物 地名
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000226486