レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2017/01/26
- 登録日時
- 2018/06/28 00:30
- 更新日時
- 2018/06/28 10:20
- 管理番号
- 所沢所分-2018-003
- 質問
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解決
宇多上皇(うだじょうこう)と一緒に出家し、上皇の友達であった囲碁の名手の人物の名前が知りたい。
- 回答
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宇多上皇と共に出家し、上皇と親しかった囲碁の名手は、橘良利(たちばなのよしとし)です。出家名は寛蓮(かんれん)といいます。
以下の資料に記載があります。
〇『新編日本古典文学全集 12』 小学館 1994年
〇『大和物語 上』 雨海博洋/全訳注 講談社 2006年
〇『広益俗説弁 続編』 井沢蟠竜/[著] 平凡社 2005年
〇『古事談 下』 源顕兼/撰 現代思潮社 1981年
〇『大和物語諸注集成』 雨海博洋/編著 桜楓社 1983年
〇『大和物語の注釈と研究』 柿本奨/著 武蔵野書院 1981年
- 回答プロセス
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1.インターネット検索
国立国会図書館のウェブサイト「本の万華鏡 第22回日本の囲碁-白と黒の戦い 第1章 文学作品にみる囲碁~古代から中世まで~」に以下の記述があった。
「一条兼良『花鳥余情』(デジタル化資料) 文明4(1472)年に成立した『花鳥余情(かちょうよせい)』は、一条兼良(いちじょうかねよし)(1402-1481)によって書かれた『源氏物語』の注釈書です。貞治元(1362)年頃に成立した注釈書『河海抄(かかいしょう)』を補正したものです。(中略)本書は「碁聖大徳」の箇所について、以下のように記しています。備前の掾(じょう)(国司の第三等官)、橘良利は、肥前国(現在の佐賀県)藤津郡大村の人である。出家名は寛蓮といい、亭子院(ていじのいん)(宇多天皇の退位後の御所)の殿上法師であった。亭子法皇(宇多法皇)が山を廻り歩かれたときにお供したと、『大和物語』に載っている。碁の上手であったことから碁聖と呼ばれた(以下略)」
これによって宇多天皇の殿上法師で碁の上手に「橘良利」、法名「寛蓮」という人がいたことがわかる。宇多天皇と一緒に出家したかについては記述なし。
2.所蔵資料の内容確認
△『日本古代人名辞典』阿部猛/編著 東京堂出版 2009年
p.469「橘良利(たちばなのよしとし)」⇒「寛蓮(かんれん)」
p.223「寛蓮(かんれん)874-」の項に「橘氏。洛北弥勒寺に住し、宇多天皇に信任され近侍した。囲碁の名手で『碁式』を著す」と記述あり。宇多天皇と一緒に出家したかについては記述なし。
3.確認したところ掲載のなかった資料
×『日本古代人名辞典』吉川弘文館 1977年
4.後日調査による追加資料
〇『新編日本古典文学全集 12』 小学館 1994年
p.573~583「大和物語人物一覧」のうちp.578に「橘良利(寛蓮大徳(かんれいだいとく)」の項目あり。
「宇多院の殿上法師。碁の名手でもあり、宇多法皇に目をかけられていた。〔新古今一首〕→二段。」とあり。
p.253~255「ニ 旅寝の夢」の下段(現代語訳)に「(前略)備前の掾(じょう)で、橘良利といった人は、帝がご在位のとき、殿上人としておそばにお仕えしていたが、帝がご剃髪なされたので、そのまますぐにお供して剃髪してしまった。(中略)その名を寛蓮大徳(かんれんだいとく)といって、のちまで法皇のおそばに仕えていたということである。」とあり。
〇『大和物語 上』 雨海博洋/全訳注 講談社 2006年
p.34~38「第二段」のうちp.35~〈現代語訳〉に「備前の掾で、橘の良利といった人が、帝が宮中にいらっしゃったときに、殿上にお仕えしていたが、帝がご剃髪なさったので、すぐにお供に剃髪したのだった。」とあり。
△『大鏡』 岡一男/校註 朝日新聞社 1977
p.72~74「一 五十九代 宇多天皇」の項目あり。
p.74「昌泰二年己未十月十四日出家(すけ)せさせたまふ。御名金剛覺(こんごうがく)と申しき。(中略)肥前掾(のざう)橘良利、殿上に候(さぶら)ひける入道して、修行の御ともにも、これ良利のみぞつこうまつりける。」とあり。
※橘良利が宇多上皇と一緒に出家したかについては記載なし。
△『日本文学全集 08』 池澤夏樹/個人編集 河出書房新社 2015年
※今昔物語 福永武彦∥訳 p.67-201
p.109~114「碁の名人が女に負かされる話』(巻二十四第六話)のうちp.109に「碁勢(きせい)と寛蓮という二人の僧があった。二人ながら碁の名人として並び称されていた。そのうち寛蓮は、人品も賤しからず、先代の宇多院の殿上法師(僧房のことを司る坊官)を勤めていた」などの記載があり。
※橘良利が宇多上皇と一緒に出家したかについては記載なし。
〇『広益俗説弁 続編』 井沢蟠竜/[著] 平凡社 2005年
p.202~203「碁聖大徳が説」(「巻三十三」の中の「僧道」の項目の中にあり)
「俗説云、寛蓮法師は、俗名肥前掾橘良利といふ。肥前国藤津郡大村の人なり。亭子院〔宇多天皇〕御出家のとき、出家して寛蓮と名く。殿上法師なり。囲碁をよくす。この故に碁聖と称せられ、『碁式』をつくる。是、日本にて碁のはじめなり」とあり。
〇『古事談 下』 源顕兼/撰 現代思潮社 1981年
p.196~197「四六一 碁勢、碁ノ懸物ニテ一ノ堂ヲ建立スル事(巻六ノ七三」の項目あり。
p.196 頭注二「(前略)寛蓮は俗名橘良利。肥前国藤津郡大村の人。『今昔』に「寛蓮ハ品モ下賎シテ、宇多院ノ殿上法師ニテ」とあるように、宇多天皇の知遇を受け、囲碁の名人として醍醐天皇の時代まで活躍。昌泰二年(八九九)宇多上皇と共に出家。(以下略)」とある。
〇『大和物語諸注集成』 雨海博洋/編著 桜楓社 1983年
p.43~47「二段」の項目あり
p.45「2-3 備前のぜうにてたちばなのよしとし」の注釈として『大和物語拾穂抄』『大和物語直解』他の資料の注釈からの採録あり。
〇『大和物語の注釈と研究』 柿本奨/著 武蔵野書院 1981年
p.10~16「二 みかど、おりゐ給ひて」に「語釈」としてp.12「備前の掾にて橘良利といひけるひと」、p.15「寛蓮大徳」の項目あり。
- 事前調査事項
- NDC
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- 日本 (281 9版)
- 小説.物語 (913 9版)
- 評論.エッセイ.随筆 (914 9版)
- 参考資料
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- 新編日本古典文学全集 12 小学館 1994.12 918 4-09-658012-0
- 大和物語 上 雨海博洋/全訳注 講談社 2006.1 913.33 4-06-159746-9
- 広益俗説弁 続編 井沢蟠竜/[著] 平凡社 2005.2 914.5 4-582-80735-6
- 古事談 下 源顕兼/撰 現代思潮社 1981.12 913.47
- 大和物語諸注集成 雨海博洋/編著 桜楓社 1983.5 913.33
- 大和物語の注釈と研究 柿本奨/著 武蔵野書院 1981.2 913.33
- 国立国会図書館 本の万華鏡 第22回日本の囲碁 第1章文学作品にみる囲碁~古代から中世まで~ http://ndl.go.jp/kaleido/entry/22/1.html 2018/6/12
- キーワード
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- 橘良利
- 寛蓮
- 宇多上皇
- 囲碁
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 人物
- 質問者区分
- 一般
- 登録番号
- 1000237662