レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2017年7月17日
- 登録日時
- 2017/08/28 15:08
- 更新日時
- 2020/02/25 10:58
- 管理番号
- 2017-026
- 質問
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未解決
明治期の群馬の政治家「新井毫」が晩年、新島八重の元を訪れていたことが「新島八重の日記」に書かれていないか確認してほしい。
新井毫は明治35年11月25日香川県多度津港で乗船していた船から落下して死亡した。大阪から乗船する前に京都を訪れ、新島襄の墓参りをしてから新島八重宅を訪問したということが八重の日記に記録されていると聞いたことがある。伝聞のため、情報源となる資料はない。
- 回答
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当館所蔵資料の中に「新島八重の日記」は確認できませんでした。
また、本学には図書館とは別に、同志社関係資料の収集・整理をしている「同志社社史資料センター」がございます。こちらのセンターにて新島八重の遺品の一部が保管されておりますので、センターの担当者にも確認しましたが、「新島八重の日記」はセンターでも保管されておらず、今日まで「新島八重の日記」は発見されていない、とのことでした。
『新島八重遺言証書控2通』によると本学以外に、八重の血縁者、または関係者にも八重の遺品が遺贈されているようです。
遺贈を受けた者のうち、八重の娘(養子)である「初」の息子「広津 旭」が何を遺贈されたのかは『新島八重遺言証書控2通』に具体的な記載がないので、こちらに「新島八重の日記」が遺贈されている可能性もありますが、広津家がこれら遺品の公開をしておりませんので、私どもでお調べできるのはここまでとなります。
また、新島八重の書簡も確認しましたが、晩年の新井氏についての記述は確認できませんでした。
- 回答プロセス
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1.「新島八重の日記」について(検索キーワード:新島八重&日記、新島八重(著者名)など)
(1)本学OPAC
→「新島八重の日記」は確認できなかった。
(2)同志社社史資料センターの「新島遺品庫」デジタルアーカイブ
http://joseph.doshisha.ac.jp/ihinko/html/n01/n01010/N0101001G.html
→目録内「上20.新島八重関係文書」の中にも「新島八重の日記」は確認できなかった。
(3)本学OPAC・CiNii Articlesにて研究文献検索
①河野仁昭「山本覚馬・新島八重文献目録」(『同志社談叢』(11), 6-13, 1991-03)
②萩原俊彦「会津の女性 新島八重を学ぶに必要な近刊書」(『新島研究』(64), 60-61, 1983-05)
→どちらにも「新島八重の日記」の記載はなかった。
2.同志社社史資料センターに参考調査依頼。
→センターの担当者より以下回答あり。
・「新島八重の日記」は今日まで発見に至っていない。
・「新島遺品庫」デジタルアーカイブにて公開されている「新島八重遺言証書控2通」に新島八重の遺品の扱いについて書かれてある。
3.「新島八重遺言証書控2通」について(「新島遺品庫」デジタルアーカイブにて公開)
http://joseph.doshisha.ac.jp/ihinko/html/n01/n01010/N0101001G.html [20170828確認]
→本学以外に新島八重の遺品の遺贈を受けた者と、遺品の内容が書かれてあった。
→各人に渡った遺品の中に「新島八重の日記」は確認できなかったが、「広津旭」に渡った遺品は具体的に内容が書かれていなかったので、広津家に「新島八重の日記」が遺贈されている可能性はある。
4.新島八重と広津家について
・本井康博『八重さん、お乗りになりますか 新島襄を語る・別巻(二)』(思文閣, 2012)
→p.231-264「八重の子どもたち-新島家と広津家の人びと-」の章内に、八重の養子の1人である「初(はつ)」やその子「広津旭」などについて記述がある。「広津旭」は新島八重の義理の孫にあたる。また、同章内p.253-254には、広津家に渡った八重の遺品の内、その後本学に譲渡された書簡(主に新島襄宛)以外は戦災により消失した可能性がある、と記載あり。
5.新島八重の書簡について
・『新島八重関連書簡集』(同志社大学同志社社史資料センター, 2014)
→「新島遺品庫」に保管されている新島八重関連の書簡を全点翻刻し、その全文を掲載した資料。「新井毫」との書簡のやりとりは確認できなかった。
6.新井毫関連の資料の確認(検索キーワード:新井毫、群馬県&歴史など)
(1)本学契約データベースwhoplus
→"who"に1件ヒットあり。生没年、経歴などの基本情報のみ確認できた。晩年の新島八重訪問については記載なし。
(2)本学契約データベースJapanKnowledge Lib
→『日本歴史地名大系』の「【総論】群馬県」の項目、東洋文庫の『星亨とその時代 2』がヒットしたが、新井毫の政治活動についての記述しか確認できなかった。
(3)徳富蘇峰記念館ホームページの「書簡検索」
http://soho-tokutomi.or.jp/db/jinbutsu/624 [20170828確認]
→人物検索も可能。上記(1)(2)と同様の基本情報の他に、本学の「小室・沢辺紀念文庫」の企画に携わっていたことが書かれていた。
(4)本学OPAC、CiNii Articles
①『群馬県政史』(上州タイムス社, 1936)
→附録1-2頁に「新井毫」の項目あり。政治家としての経歴が書かれているが、晩年に関しては記述なし。
②高久嶺之介「新島襄の新出書簡-一八八七年三月十六日付新井毫宛書簡-」(『同志社談叢』(22), 74-83, 2002-03)
→新井毫が宇治滞在中に新島襄と出会い、そこから2人の交流が始まったことなどが書簡の内容解説とともに書かれてあるが、新井毫の晩年については記述なし。
- 事前調査事項
- NDC
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- 個人伝記 (289 9版)
- 参考資料
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正木重之. 群馬県政史. 上州タイムス社, 1936.
http://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000000710916-00 (NCID:BA42561788) -
高久 嶺之介. 資料紹介 新島襄の新出書簡--1887年三月十六日付新井毫宛書簡. 2002-03. 同志社談叢 / 同志社大学同志社社史資料センター 編(22) p. 74~83
http://iss.ndl.go.jp/books/R000000004-I6188918-00 (NCID:AN00382516) - 河野仁昭編. 山本覚馬・新島八重文献目録. 1991年3月. 同志社談叢 11 p. 6-13 (NCID:BN06222995)
- 高久嶺之介. 新島襄の新出書簡-一八八七年三月十六日付新井毫宛書簡-. 同志社社史史料編集所, 2002年3月. 同志社談叢 22 p. 74-83 (NCID:AN00382516)
- 萩原俊彦. 会津の女性 新島八重を学ぶに必要な近刊書. 洗心会, 1983年5月. 新島研究 64 p. 60-61 (NCID:AN00183655)
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本井康博, 1942-. 八重さん、お乗りになりますか. 思文閣出版, 2012. (新島襄を語る ; 別巻2)
http://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I024144745-00 , ISBN 9784784216697 (NCID:BB11492746) - "who", whoplus(参照:2017-08-29)
- 『日本歴史地名大系』, JapanKnowledge Lib(参照:2017-08-29)
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同志社大学同志社社史資料センター 企画編集 , 同志社大学同志社社史資料センター. 新島八重関連書簡集. [同志社大学同志社社史資料センター], 2014. (同志社社史資料センター叢書)
http://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I025393176-00 , ISBN 9784990486051 (NCID:BB15480261) - 徳富蘇峰記念館ホームページ「書簡検索」, http://soho-tokutomi.or.jp/db/jinbutsu/624(参照:2017-10-30)
- 新島遺品庫デジタルアーカイブ, http://joseph.doshisha.ac.jp/ihinko/html/n01/n01010/N0101001G.html(参照:2017-10-30)
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正木重之. 群馬県政史. 上州タイムス社, 1936.
- キーワード
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- 新井毫
- 新島八重
- 日記
- 遺品
- 広津家
- 同志社
- 照会先
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- 同志社社史資料センター
http://archives.doshisha.ac.jp/
- 同志社社史資料センター
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 同志社
- 質問者区分
- 学外者
- 登録番号
- 1000221125