(1)次の資料に黒田官兵衛と高松城についての記述がありました。
・香川県埋蔵文化財センター年報 平成26年度 香川県埋蔵文化財センター/編・発行 2016
p.93-107「研究ノート 高松城はいつ造られたか(佐藤竜馬)」
p.93-94「1.従来の「通説」への疑問」に
「南海通記」に黒田孝高(官兵衛)が縄張り(計画)について見分したという内容が紹介されている。
しかし、「南海通記」の記載には矛盾があり、
高松城の縄張り(計画)に関与したのが誰なのか「実はまだ明らかではない」と記述あり。
次のURLで本文を確認できる。
https://www.pref.kagawa.lg.jp/maibun/2015kankoubutu/26nenhou/P93-P107.pdf・史跡高松城跡 美巧社/編 高松市 2014
p.2に高松城の縄張りについて「黒田孝高・藤堂高虎・細川忠興など諸説がある」と記述あり。
・讃岐人物風景 3 孤峰と群雄 四国新聞社/編 大和学芸図書 1980
p.155に高松城の設計についていくつかの説が紹介され、黒田孝高(官兵衛)も紹介されているが、
どの説も「確証はなくはっきりしない」と記述あり。
・史跡高松城跡保存修理工事報告書 高松市/編 高松市 1971
p.3「二、高松城の縄張り」に
「南海通記」に含まれる黒田如水(官兵衛)についての内容が紹介されている。
・南海通記 史料叢書 香西成資/著 弘成社 1926
「讃州新高松府記」の項p.583に黒田孝高(官兵衛)が縄張り(計画)について見分したという内容あり。
次のURLで本文を確認できる。
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1020201/302(2)次の資料に高松城築城についての記述はありますが、黒田官兵衛についての記述は見当たりませんでした。
・高松城主とその時代 高松市歴史民俗協会/[編]・発行 1996
p.10に高松城は「細川忠興の設計(諸説がある)」とあるが、黒田官兵衛についての記述は見当たらなかった。
・生駒藩史 讃岐・出羽 姉崎岩蔵/著 矢島町公民館 1976
p.25「天正十六年の記事(高松築城)」の項には設計者についての記述は見当たらなかった。