レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2021年08月06日
- 登録日時
- 2022/06/20 15:09
- 更新日時
- 2022/06/26 09:17
- 管理番号
- 中央-1-0021537
- 質問
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解決
近代より前の中東もしくはヨーロッパにおいて、各都市間を旅行するのに要した日数を知りたい。中世・古代は問わない。
- 回答
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下記の図書資料、ウェブサイトを紹介した。
■図書資料
(1)『中世の旅』ノルベルト・オーラー/[著] 藤代幸一/訳 法政大学出版局 1989年
陸の旅(徒歩・馬車等)、海の旅について、方法とかかった日数・距離など、いくつかの実例が書かれている。
p27 冬の船旅でかかった日数「七二六年 テュルスからコンスタンチノープルまで船で三か月以上」「一三一二年ジェノバからピサまで僅かな距離に船で一九日」とあり。
p35 「ラクダは一日に一五〇キロを進むことができ…(中略)…足の速いラクダを使えば一〇日でカイロからメッカまで(直線距離一三〇〇キロ)行くことができる」とあり。
(2)『ヨーロッパの中世 4 旅する人びと』池上俊一/編集 河原温/編集 関哲行/著 岩波書店 2009年
中世ヨーロッパの旅事情について書かれている。
p67 サンティアゴ巡礼に関して「中世末期の徒歩巡礼者の場合、パリからでも往復三-四カ月以上かかった。これは徒歩巡礼者の一日の踏破距離を三〇-四〇キロメートルとした場合の日数であり、さらに多くの月日を要した巡礼者も少なくない。」とあり。
p68 「中世末期のイングランド、ネーデルラント、北欧からの巡礼者は、夏場に帆船(ハンザ船)を利用して巡礼する場合が一般的であった。…(中略)…ラ・コルーニャから聖地サンティアゴまでの往復日数は一〇日ほど…(以下略)」とあり。
(3)『移動者の中世』高橋慎一朗/編 千葉敏之/編 東京大学出版会 2017年
p53~78 「3 王の移動 エドワード一世の巡幸と納戸部記録」加藤玄/著
p60 図1「エドワード一世の大陸南西部巡幸地図」にてルートと訪れた都市がわかる。文章中に出発や到着の時期の記載があるが、滞在期間も含まれているため移動日数はわからない。
p69「大人数のため一行の移動は遅く、陸路の場合で一日に一五-二五キロメートルのペースであった…(以下略)」とあり。
(4)『阿部謹也著作集 3 中世を旅する人びと』阿部謹也/著 筑摩書房 2000年
p466 フランスの王、フランソワ一世の旅の例として、「三月七日にラ・フェルテ=ミロン、九日ロンボン修道院、十日フェル=アン=タルドノア、十五日ソワソン、十七日クゥシー、二十日マルル経由ラ・フェール、二十一日リベモンといった具合で毎日旅をしているのである。」とあり。
(5)『郵便の文化史 イギリスを中心として』星名定雄/著 みすず書房 1982年
p10~12 王の使者が1343年に伝馬役と歩行役とでロンドンからフランスのアヴィニョンまでの往復を旅した時の記録あり。
(6)『馬車の文化史』本城靖久/著 講談社 1993年
p53~66 「第ニ章 中世の旅」
日数についてわかる記載は見当たらないが、p60に「徒歩や車で旅した場合には一日にカバーできる距離は三〇~四〇キロだが、騎馬で旅すると一日平均七〇キロは行ける」とあり。
(7)『図解中世の生活』池上正太/著 新紀元社 2016年
p44~45 「中世の交通」の項。日数については記載なし。
p152~153 「流通と交易」の項。日数について記載なし。「流通経路の移り変わり」として、12世紀の流通は陸路が中心だが、14世紀は海路で北イタリアから直接フランドル地方へ向かう航路が開拓された旨記載あり。
p156~157 「街道の宿屋」の項。日数については記載なし。「徒歩が主な移動手段であった中世世界…(以下略)」とある。
(8)『大旅行記 2』イブン・バットゥータ/[著] イブン・ジュザイイ/編 家島彦一/訳注 平凡社 1997年
p423~429 解説「3 メッカに至る巡礼路」の項目内に各都市間の行程日数あり。
(9)『大旅行記 4』イブン・バットゥータ/[著] イブン・ジュザイイ/編 家島彦一/訳注 平凡社 1999年
p418~の訳者による解説ページに旅程の不整合について触れられている。
「わずか一年の間に西アジアとユーラシア大陸の内陸部を縦断して歩いたことになる。…(中略)…いかに猛スピードで疾走したとしても、残りのわずか三か月半の期間で全旅程を踏破することは到底不可能である。…(中略)…いくら記憶違いであるといっても、このような大幅な旅程の不整合をどのように理解したらよいであろうか。」とある。
(10)『大旅行記 7』イブン・バットゥータ/[著] イブン・ジュザイイ/編 家島彦一/訳注 平凡社 2002年
p311~314 解説「イブン・バットゥータの中国旅行は真実か」にイブン・バットゥータが語っていることに基づいて、インドを発ってからモロッコのファースに戻るまでの行程がまとめられている。
p329~343 解説「3 ザグロス山脈越えのキャラバン・ルート」の項目内の都市解説に都市間の距離や行程日数など記載あり。
(11)『大旅行記 8』イブン・バットゥータ/[著] イブン・ジュザイイ/編 家島彦一/訳注 平凡社 2002年
p172 表1「イブン・バットゥータのサハラ縦断スーダーン旅行の旅程」に行程日数あり。
(12)『イブン・バットゥータの世界大旅行』家島彦一/著 平凡社 2003年
上記(8)~(11)の『大旅行記』(東洋文庫全 8 巻)を全訳した家島彦一の著書。
第3章から第7章にかけて14世紀のキャラバン隊の旅の進み具合が書かれている。
(13)『地域の世界史 5 移動の地域史』松本宣郎/編 山田勝芳/編 山川出版社 1998年
p292 「オクタウィアヌスがアウグストゥスの称号を授けられる一〇年ほど前、数人の一行がローマからブルンディシウムまでアッピウス街道を旅した。詩人ホラティウスらが前三七年におこなった旅行である。…(中略)…その旅は、ローマからカプアとベネウェントゥムをへてブルンディシウムまで、全長約三七〇キロメートルの長旅で、半月を要した(図4)。」とあり。
p.293の図4「前37年のホラティウスの旅程」には、イタリアの略地図上にローマからブルンディシウムまでの経路と宿泊地点の都市名が書かれている。
p346 「巡礼キャラバン隊が一日に移動する距離は、ほぼ二〇キロメートルから二五キロメートルであり、カイロ-メッカ、ダマスカス-メッカ、バグダード-メッカ、タイッズ-メッカのいずれも、ほぼ一致して四五日から五〇日を要した。」とあり。
■ウェブサイト(最終アクセス確認日 2022年6月20日)
(1)「石井昭夫の観光研究室」http://www7b.biglobe.ne.jp/~aki141/
「旅と観光の世界史 通史」のカテゴリ内に古代・中世の旅について記載あり。日数についての記載は見つからず。
(2)「一般財団法人国土技術研究センター」
トップページ>研究成果・調査報告>自主研究>『道と暮らし』に関わる自主研究> 最近の交通問題と道路サービスに関する意見交換会(新道路研究会)について
https://www.jice.or.jp/reports/autonomy/roads/detail_01
PDFファイル「古代から近世までの旅(欧州,米国,日本編)」 清水哲夫(平成25年11月5日)
http://www.jice.or.jp/cms/kokudo/pdf/reports/autonomy/roads/01/siryo27.pdf
p.13「サンチャゴ巡礼路」、p.14「ベネチア共和国によるイェルサレム巡礼」に地図と期間の記載あり。
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
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- アジア史.東洋史 (220 10版)
- ヨーロッパ史.西洋史 (230 10版)
- 参考資料
- キーワード
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- 中東
- ヨーロッパ
- 旅
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000317443