レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 20180902
- 登録日時
- 2022/03/31 00:30
- 更新日時
- 2022/03/31 00:30
- 管理番号
- 徳郷20180902
- 質問
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解決
長曽我部元親が社寺を焼き討ちしたのが史実かどうか。違うという説がある。
- 回答
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【A】のp.290~ 7 長曽我部氏の阿波侵攻と重清合戦 のp.295に里分方面でも「長曽我部氏の兵火によって多く民家が焼き払われ,由緒ある寺院もまたその厄にあったと伝えられている。他、郡里廃寺(立光寺とよばれていたともいう)も兵火によって焼失したとする伝承があり,願勝寺も『願勝寺歴代系譜』の二十六代快全上人の項に「天正年中土州長曽我部元親ノ「兵燹ニ罹り…」と引用しているが,「真実は見極めがたい」としており,同じく疑問視している。
【B】「長曽我部元親による阿波国侵攻の「記録」と「記憶」 石尾和仁著(『四国中世史研究』第11号 四国中世史研究会 2011.8 p.79-95)の二 元親伝承の形成と蜂須賀氏 p.88-92 に被害伝承の事例と伝説に対するいくつかの言及を紹介し,「意図的に創出された伝説であった部分も少なくない」と推察している。
社寺を焼いたことについては,この他の資料では見つけられず,長曽我部の伝記,『徳島県史第二巻』『郡里廃寺跡第○次発掘調査概要報告』,『阿波学会紀要第55号;美馬市美馬町』には記述なし。
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
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- 四国地方 (218 8版)
- 参考資料
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- 美馬町史 (T260.8ミマ2 p.295美馬町史編集委員会/編 発行:美馬町 1989年3月刊)
- 四国中世史研究 第11号 (T205シコp.79-95四国中世史研究 編・発行 2011年8月刊)
- キーワード
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- 長曽我部元親 焼き討ち
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000314394