レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 20170407
- 登録日時
- 2019/04/12 00:30
- 更新日時
- 2019/04/17 00:30
- 管理番号
- 徳郷20170403
- 質問
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解決
1.徳島城庭園が戦争等で荒れた。修復前の写真と修復後の写真はあるか。
2.占領軍が庭園の池を埋めたという話について。
- 回答
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1.『徳島県歴史写真集』(岩村武勇/編・発行 1968)
p132「徳島城表御殿庭園(修理前)」p133「徳島城表御殿庭園(修理後)」の写真あり。p133の備考に「昭和二十年七月の戦災と昭和二十一年十二月の南海地震とによって荒廃したので、昭和三十二年徳島市が復旧工事をおこない同年九月竣工した。」とあり。
2-a『徳島 城と町まちの歴史』(河野幸夫/著 聚海書林 1982)p90 千秋閣の庭 「千秋閣があまりに有名になったので、千秋閣のために造られた庭園と錯覚されている人が多い。もともとこの庭園は旧徳島市城表御殿の小書院と表居間の庭として築庭された、典型的な城郭庭園である。廃城後もそのままの姿を廃墟の中にとどめていた。千秋閣が建てられた時、この庭も修復され、囲いの中に取り入れられた。」 p89-90 千秋閣についての記述「昭和二十年七月の空襲で全焼、その焼跡には米国駐留軍CIC本部が建ち、(略)この環境に不つり合いな洋風建物も平和回復後には早速取り払われ、荒廃にまかせていた庭園も修復された。」
2-b『写真集 徳島100年(上)』(徳島新聞社第2事業部/編 徳島新聞社 1980)p27に進駐軍民間情報部(CIC)の建物の写真があるが、池があるかどうかは分からない。(写真の説明)「昭和21年6月に徳島公園千秋閣跡に建てられた進駐軍民間情報部は、(以下略)」
2-C『徳島市史 第四巻』(徳島市史編さん室/編 徳島市教育委員会 1993)p1048「昭和二十年(一九四五)七月四日早暁の徳島大空襲によって、千秋閣は全焼し、庭園の樹木の一部も焼失した。これによって荒廃した庭園は、同三十三年二月の徳島産業大博覧会の開催を機に復元されることになり(以下略)」
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
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- 四国地方 (218 8版)
- 参考資料
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- 徳島県歴史写真集 (T209イワ132-133岩村 武勇/編・発行 1968)
- 徳島 城と町まちの歴史 (T210カワ3289-90河野幸夫/著 聚海書林 1982)
- 写真集 徳島100年(上) (T209.6Lトク34-127徳島新聞社第2事業部/編 徳島新聞社 1980)
- 徳島市史 第四巻 (T210トク4-41048徳島市史編さん室/編 徳島市教育委員会 1993)
- キーワード
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- 徳島城表御殿庭園
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000254814