レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2021年02月18日
- 登録日時
- 2021/02/25 15:23
- 更新日時
- 2021/08/11 13:23
- 管理番号
- 島根郷2021-001
- 質問
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解決
中世に出雲大社の主祭神がスサノオノミコトに代わっていたと聞いた。この原因、また、オオクニヌシノミコトに戻った原因が知りたい。
- 回答
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当館所蔵の資料1、2、3に詳しい説明があったので、これを紹介した。
以下に、順を追って、これらの概略をまとめる。
【中世まで】
・「杵築大社の祭神をスサノヲだとする考え方は、すでに平安時代のかなり早い時期から一部で説かれつつあった」(資料1p.431)。
例として、『先代旧事本紀』が挙げられている。
・この考えは「『平家物語』などにも見え」、「中世社会に共有のものであった」(資料2p.27)。
・ただし、「本格的な祭神の転換は、やはり十世紀の出雲国造の杵築移住以後のことであったと考えなければならない」(資料1p.431)。
【中世:主祭神がオオクニヌシノミコトからスサノオノミコトになる】
・祭神転換の背景として、「仏教思想に基づく古代出雲神話の再構築」(資料2p.25)があるとのこと。
・この再構築は「浮浪山(鰐淵寺)をその中核にすえることによって、これまでとは異なる高度な思想性と整備された理論体系」持つもので、「蔵王信仰に支えられた鰐淵山の聖たち」によって「出雲という場に即して具現化された、顕密主義の一つの到達点」であった。(資料1p.434)
・このように発展した中世出雲神話では、スサノヲは、古代の出雲地域で生み出された様々な神話伝承をすべて吸収・総括した、全能の神として現れて」いて、「中世成立期出雲国の守護神として、この当時の思想状況にきわめて適合的」であった(資料1p.435)
・上のような思想背景のもと、「杵築大社の祭神のオオナモチからスサノヲへの転換は、鰐淵山との交渉の中で先ず成立し、そして中世一宮制の成立過程の中で確立されていったと考えられるのであって、これを推進したのは、杵築大社の復活と再生を目指して杵築に拠点を移し、鰐淵山との宗教的な連携の中にその活路を見出そうとした国造出雲氏に他ならなかったと考えられる」(資料2p.27-28)
・このような思想の転換、祭神の転換を示す史料として、「鰐淵寺僧某書状断簡(鰐淵寺文書)」「大山寺縁起(大山寺洞明院所蔵)」「国造出雲孝時解状土代写(千家家文書)」が挙げられている(資料1p.432-433)。
・中世の杵築大社と鰐淵寺が相互補完関係にあったことは、杵築大社の年中行事に現れているとのこと(資料1p.461-475、資料2p.29-38)。
例として、杵築大社三月会における、鰐淵寺僧による大般若経の輪読について、「杵築大社神官等解」を引用し、考察されている(資料2p.33-37)。
【中世末~近世:主祭神がスサノオノミコトからオオクニヌシノミコトにもどる】
・資料1p766には、天正19年(1591)に毛利氏の政策によって杵築大社の社領が大幅に削減したことが、祭神問題の再検討の一因になったとの見解がある。
・慶長年間ころの『千家元勝旧記』は、中世以降において、「祭神を大己貴尊と明記した最初のもの」だとのこと(資料1p.766)。
・祭神が再検討された理由として、第一に「御頭神事の衰えにより、もはや鰐淵寺との提携が無意味になってきた」こと、第二に「神書研究の深化により、祭神を大国主神にした場合の杵築大社司祭者として国造家の地位を理論的に揺るぎないもの」にできることが挙げられています(資料1p766-767)。
・寛文6年(1666)四月日両国造願書案では、「国造は天照大神の子である天穂日命であり、神勅を受けて、大国主神の「御杖代」になったことが明快に説明されている」とある(資料1p.767)。
・中世以降、杵築大社は神仏習合していたが、17世紀になると、「神道から仏教説を排除して新たに儒教説で神道を解釈しよう」という儒家神道が唱えられ、その影響下で出版された『懐橘談』が杵築大社にも回覧されたため、「杵築大社の神職たちは、神仏が混在した神社は本来の神社の姿でないことに気づき始めた」(資料3p.94-95)とのこと。
・造営を機に、「杵築大社は神仏分離を幕府公認のもとで、我が国で最初に実行することにな」り、寛文四年(1664)から、境内から本格的に仏閣が撤退したとあります(資料3p.100)。
・資料4では、絵図から出雲大社の神仏習合について検討している。
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
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- 神衹・神道史 (172 8版)
- 中国地方 (217 8版)
- 神社.神職 (175 8版)
- 参考資料
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【資料1】大社町史編集委員会 編 , 大社町 (島根県). 大社町史 上巻. 大社町, 1991.
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000002164347-00 (当館請求記号:092.94/145/1 ※貸出禁止資料) -
【資料2】鰐淵寺 (出雲市). 出雲國浮浪山鰐淵寺. 浮浪山鰐淵寺, 1997.
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000002659711-00 (当館請求記号:郷貸出188.4/ガ97) -
【資料3】大社町史編集委員会 編 , 出雲市. 大社町史 中巻. 出雲市, 2008.
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000009838550-00 (当館請求記号:092.94/145/1 ※貸出禁止資料) - 【資料4】千家 和比古 , 千家 和比古. 出雲大社の,いわゆる神仏習合を伝える絵図の検討. 1996-03. 古代文化研究 = Studies of the ancient culture / 島根県古代文化センター 編 (4) p. 1~76 (当館請求記号:SZ20/1/4 ※貸出禁止資料)
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【資料1】大社町史編集委員会 編 , 大社町 (島根県). 大社町史 上巻. 大社町, 1991.
- キーワード
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- 素戔嗚尊
- 出雲大社 (出雲市)--歴史
- 島根県--歴史--中世
- 神道--歴史--中世
- 鰐淵寺 (出雲市)--歴史
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000294159