依頼者の調査済み資料に,「水川姓の研究」(水川晴海)とあった。この系統の水川であれば,当館に若干の資料があり、若干の情報も持ち合わせている。当館で,水川秀海『水川犢三郎小伝 付:近代日本歯科医学の軌跡』を所蔵して,これに水川家のことが記されている。両著者の祖父が岡田藩御殿医であった水川孝綏(精一)になる。そして,その祖は,真備町服部の水川総本家に繋がっている。この家は,岡田藩初代藩主が初入部した際に,玉島から殿様を背負ってきたという水川与左衛門の家である。その途中で休憩したという岩が君が岩の史跡として残されている。この系統の水川であれば,総本家に家系図が残されていることを聞いたことがある。ただ個人蔵のプライベートなものであり閲覧できるかは不明。御殿医の系統は,服部から岡田へ出て,岡田から川辺へ出て,川辺から倉敷市児島,関西方面,関東方面へと子孫は次々に移転している。そして,小児科医,歯科医,農務省高級官僚,音楽大学学長などと多彩な人材を輩出している。墓所は,御殿医の系統は岡田に,服部に本家とその分家の墓所がある。この系統以外の水川姓については,岡田藩士であった家もあるが、個別に調べてみなければわからない。「水川姓の研究」は、図書館では所蔵がなく閲覧できないようである。その後、依頼者より、「水川姓の研究」が、真備ふるさと歴史館に寄贈されているということを聞いた。しかしながら真備ふるさと歴史館に確認したところ、そのタイトルの資料は確認できなかった。服部の水川家墓所が整備され除幕式が行われた前後に寄贈された「備中国服部村水川姓について」という墓所の石碑に刻まれた原稿と家系図などが寄贈されているということであった。これは、除幕式の案内状とともに送付されたもの、除幕式で配布されたものなどであるとのことであった。除幕式の案内状とともに寄贈された資料のみは、倉敷市歴史資料整備室にも送付されている。