レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2018/11/01
- 登録日時
- 2018/11/03 00:30
- 更新日時
- 2018/11/07 13:15
- 管理番号
- 滋2018-0011
- 質問
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解決
木地屋の名前として知られる小椋姓について調査している。木地屋の根源地として知られる東近江市の蛭谷、君ヶ畑はかつて愛知郡東小椋村であったようだが、村の名称として「小椋」を使った経過を知りたい。
- 回答
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『滋賀県市町村沿革史』第3巻に、東小椋村成立にいたる経緯が記述されています。それによると、明治22年の町村制施行の際、県が、高野村ほか7カ村連合(高野・九居瀬・黄和田・政所・箕川・蛭谷・君ガ畑・茨川)をひとつの村とする案を示し、村名については、小椋庄の東部を占めることから、東小椋村と決定したとのことです。
『永源寺町史 通史編』によれば、小椋庄が最初に文献に現れるのは12世紀後半の貴族平信範の日記『兵範記』久安6年(1150年)8月巻裏文書であり、遅くともこのころまでには小椋庄が成立していました。小椋庄内で郷を付して号されている地名のひとつとして、小椋郷も列挙されています。
同書には、永源寺町域(2005年以降は東近江市の一部)の歴史が、古代から近代まで、史料をあげて詳しく記述されています。
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
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- 近畿地方 (216 8版)
- 社会.家庭生活の習俗 (384 8版)
- 参考資料
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- 1 滋賀県市町村沿革史 第3巻 各論 滋賀県市町村沿革史編さん委員会∥編集 滋賀県市町村沿革史編さん委員会 1964年 S-2100-3 p.464
- 2 永源寺町史 通史編 永源寺町史編さん委員会∥編集 東近江市 2006年 S-2147- 06 p.297
- キーワード
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- 木地屋
- 永源寺
- 小椋
- 東小椋村
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000245100