レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2018/07/13
- 登録日時
- 2018/07/19 14:13
- 更新日時
- 2018/07/27 13:26
- 管理番号
- 日進18R-01
- 質問
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解決
お茶壷道中のルートを知りたい。
1630年代に制度化し、1700年代に東海道と中山道→甲州→江戸の切替があった。
- 回答
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茶壷道中のルートは江戸時代を通じて、必ずしも定まってはいなかった。
江戸中期以前には甲州谷村町(山梨県都留市)に立ち寄り、夏季の間爽涼な谷村勝山城に格納した為、往路は東海道、帰路は中山道・甲州街道を経由するルートが常であった。
1748年以降、往路は東海道、帰路は草津-彦根-大垣-起-鳴海の中山道・美濃路・東海道を経由するルートに定まっている。
- 回答プロセス
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キーワード"お茶壷道中”でGoogle検索する。
綾鷹のホームページ(上林春松本店の章 第五話)に記載あり。(諸説あり)(https://www.ayataka.jp/story/kanbayasi/05.html)2018/07/19現在
江戸-東海道-京都・宇治-中山道-江戸
またホームページにある参考文献の資料を所蔵確認する。
『宇治市史 第3巻 近世の歴史と景観』(216.2/060/3)P165-169に記載あり。
- 事前調査事項
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『徳川実紀』(289/01673/1)
お茶壷道中について、甲州の街、勝山城の記録の記載があった。
- NDC
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- 近畿地方 (216)
- 参考資料
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- 『宇治市史 第3巻 近世の歴史と景観』 宇治市 / 1976 /(216.2/060/3)P165-169
- キーワード
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- お茶壷道中
- 東海道
- 中山道
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 図書館
- 登録番号
- 1000238721