レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2008年06月10日
- 登録日時
- 2013/09/17 10:28
- 更新日時
- 2017/06/09 00:30
- 管理番号
- 10-3A-201309-08
- 質問
-
解決
明治35年ぐらいにあった、難波蔵前町「遊連橋」の所在地を知りたい。高島屋の辺りと思われる。
- 回答
-
以下の資料に「遊連橋」の記載がありました。
『実測大阪市街全図(「大阪建築史夜話」附図:「大阪古地図集成 第21図」)』(大阪都市協会 1980,10)
※地図本体には明治18年1月出版と記載あり。
『大阪市新全図:明治38年最新版』(沢田 正太郎/編纂 沢田幸助,1904(明治37).9)
※地図本体には明治37年1月25日版と記載あり。
- 回答プロセス
-
当館所蔵大阪関連参考資料を調査
・『大阪府全志』索引より、難波蔵前町の地名を確認するも「遊連橋」は見当たらず。
『大阪府全志 巻之二』p.606難波蔵前町の記載がある「難波区」にも「遊連橋」は見当たらず。
『大阪府全志』附図にて、難波蔵前町のおおよその所在地を確認。
・明治30年代の地図を確認。回答資料『大阪市新全図』に、「遊連橋」の記載を確認。
・『大阪の橋』p.280-282 「難波入堀川」の項に遊連橋(p.281)の記載あり。
「明治一九年の大阪府地理課編纂の『実測大阪市街〔全〕図』には、難波御蔵跡地のすぐ北側にに遊連橋が画かれている。」(同頁に地図(部分)も掲載)。
「『浪華百事談』によると、明治以前には両岸ともに民家はなく、田圃地で、簡単な板橋のようなものが架けられていた~(中略)橋のたもとに幽霊が出るという噂がたって、人びとは幽霊橋と呼んでいた。明治になって公の手で、橋が架けられたとき、音が似ているところから、遊連橋と名付けられたという。」との記載あり。
・『実測大阪市街全図(「大阪建築史夜話」附図:「大阪古地図集成 第21図)』を確認。
道頓堀から難波御蔵跡地(地図上の表記は「大蔵省用地」)へと続く難波入堀川に「遊連橋」の記載あり。
- 事前調査事項
- NDC
-
- 近畿地方 (216 9版)
- 参考資料
-
- 当館書誌ID <0012109705> 実測大阪市街全図 -第21図- 大阪都市協会 1980.10
- 当館書誌ID <0000337726> 大阪市新全図 :明治38年最新版 沢田 正太郎/編纂 沢田幸助 1904(明治37).9
- 当館書誌ID <0000172312> 大阪府全志 索引 佐古 立子/編 清文堂出版 1986
- 当館書誌ID <0000172307> 大阪府全志 巻之2 井上 正雄/著 清文堂 1985 9784792402716
- 当館書誌ID <0000172311> 大阪府全志 附図 井上 正雄/著 清文堂 1985 9784792402754
- キーワード
-
- 大阪府大阪市
- 大阪の橋
- 難波蔵前町
- 遊連橋
- 難波入堀川
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 登録番号
- 1000137224