レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 登録日時
- 2018/01/24 11:15
- 更新日時
- 2018/01/30 17:36
- 管理番号
- 2017-0004
- 質問
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解決
富山藩前田家の初代藩主・利次は曹洞宗だったが、2代目正甫は日蓮宗に改宗し、6代目利與(利与)から再び曹洞宗になったらしい。
加賀藩の前田利家の側室の壽福院(寿福院)が日蓮宗を信仰しており、それと関係しているのではないかと聞いたが、改宗の理由や経緯等が知りたい。
- 回答
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◎自館資料調査結果
【1】『お殿さまとお寺 富山前田家ゆかりの寺々』
・・・富山前田家改宗について詳しい。壽福院(寿福院)との関わりについては、法華経信仰者だったと
記述はあるが、関わりについては見つけられなかった。
【2】『富山史壇 第1巻』第5号p.18
・・・「富山藩主の改宗事情」(故 金森久一 遺稿)が収録されている。以下は関連部分の一部抜粋。
●正甫改宗(曹洞宗→日蓮宗)の理由について●
p.21 大法寺文書の引用によると、大法寺住持が正甫に法談をなし、深く感動したということの記述が
みられるので、それこそが正甫改宗の動機をなすものと推測されるという記述あり。
●6代目利與(利与)改宗(日蓮宗→曹洞宗)の理由について●
p.23 「藩士にして光厳寺壇越たる人が多いのであらうから、その人々の尽力によつてか、宝暦四年
十一月六日に至り、遂に御宗門隔代といふことに定まつたのである。~(中略)~即ち光厳寺の請願と
裏面の運動が効きあつて、光厳寺大法寺隔代に菩提寺たるの制がこのとき立てられたのである。
かくて五代利幸は大法寺、六代利興は光厳寺・・・」(引用そのまま)という記載あり。
※大法寺は日蓮宗(p.22の記述参照)、光厳寺は曹洞宗(p.19の記述参照)である。
【3】『吉川随筆・前田氏家乗』
・・・p492「元禄四年日蓮宗改宗」とある
・・・p544光厳寺(曹洞宗)で葬儀を行ったとあるが、詳細は分からず。
【4】『越中の人物 よみがえる栄光と苦悩』
・・・「前田正甫の治政とその支援者」で改宗についてp135で若干触れてある。
【5】『富山県大百科事典』
・・・正甫改宗について記述あり。
【6】『富山県史 通史編4』
・・・正甫改宗について記述あり。理由について「大法寺日徳の熱心な布教の成果」とあり。
【7】『富山市史 通史 上巻』
・・・「富山藩主の改宗」項目あり。改宗の経緯について記述あり。
- 回答プロセス
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①自館OPACで<前田家>を検索。
②資料1の参考資料を所蔵検索。
③郷土資料をブラウジング。
- 事前調査事項
- NDC
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- 北陸地方 (214 9版)
- 参考資料
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- 【1】『お殿さまとお寺 富山前田家ゆかりの寺々』富山市郷土博物館/編集 富山市郷土博物館 2012.9 T288.5
- 【2】『富山史壇 第1巻』第5号 越中史壇会/編 国書刊行会 1990年 T209/エ/1
- 【3】『吉川随筆・前田氏家乗』新田 二郎/編 富山 桂書房 1988年 T209/ニ
- 【4】『越中の人物 よみがえる栄光と苦悩』奥田 淳爾/共著 米原 寛/共著 富山 巧玄出版 1978年 T280/オシ
- 【5】『富山県大百科事典』 富山新聞社大百科事典編集部/編 富山新聞社 1976年 T031/ト
- 【6】『富山県史 通史編4』 富山県/編 富山県 1983.3 T209/ト/2-4
- 【7】『富山市史 通史 上巻』 富山市/編 富山 富山市 1987年 T232/ト/2-1
- キーワード
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000228983