レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2013年12月06日
- 登録日時
- 2016/03/22 17:05
- 更新日時
- 2016/03/25 14:44
- 管理番号
- 新県図-01315
- 質問
-
解決
東蒲原郡に関する下記3点について
1.会津領となった時期、理由について
2.江戸時代に会津藩領であった村の名前と現在のどの市町村にあたるかについて
3.明治時代に若松県、福島県、新潟県と行政区画が変わった経緯について。また、その変遷がわかるような地図が見たい
- 回答
-
1.会津領となった時期、理由について
下記(1)(2)の資料に会津領となった時期に関連する記述がありました。
(1)『東蒲原郡史 通史編』1 自然・原始・古代・中世・近世(東蒲原郡史編さん委員会/編 東蒲原郡史編さん委員会 2012)
巻頭の「発刊のことば」に「会津と越後のはざまに位置する東蒲原郡が、古代末期に越後国ではあるが会津領となり、小川庄と呼ばれ、以来、明治十九年新潟県に編入されるまで七百余年にわたって会津の歴史とともに歩んできました。」とありますが、本文、巻末の年表には具体的にいつから会津領となったかについての記述はありませんでした。
(2)『新潟県の地名』(日本歴史地名大系 第15巻)(平凡社/編 平凡社 1986)
p902「東蒲原郡」の項に「承安二年(一一七二)城長茂(永用)は叔母の竹姫を恵日寺の僧乗丹坊に嫁がせ、小川庄を寄進して緊密な関係を取結んだという。これ以後、当郡域は明治初年の一時期を除いて、明治一九年(一八八六)まで会津の支配下に置かれる。」とあります。
2.江戸時代に会津藩領であった村の名前と現在のどの市町村にあたるかについて
下記(3)のWebサイトで江戸時代末期頃に会津藩領だった村の名前を検索することが可能です。また下記(4)の資料で、東蒲原郡内の村の合併の推移が記載されていました。
(3)「旧高旧領取調帳データベース」(国立歴史民俗博物館ホームページ内)[http://www.rekihaku.ac.jp/up-cgi/login.pl?p=param/kyud/db_param]
「旧領名」の項に「会津藩領」と、「地名」の項に「東蒲原郡」と入力して検索を行うと、現在の東蒲原郡かつ旧会津藩領だった村の一覧が表示されます。
(4)『東蒲原郡史 通史編』2近現代(東蒲原郡史編さん委員会/編 東蒲原郡史編さん委員会 2013)
p734~735「町村合併の推移」
3.明治時代に若松県、福島県、新潟県と行政区画が変わった経緯について。また、その変遷がわかるような地図が見たい。
上記(4)及び下記(5)~(7)の資料に新潟県に戻った経緯について記述がありました。また下記(5)の資料p38~39に行政区画の変遷に関する地図が掲載されていました。
上記(4)の資料
p16~33「第二項 若松県(第一次)の成立」
p33~48「第三項 若松県(第二次)と東蒲原郡」
p49~71「第二節 福島県から新潟県へ」
(5)『図説・東蒲原郡史阿賀の里』下(東蒲原郡史編さん委員会/編 東蒲原郡史編さん委員会 1985)
p38~39「行政区画の移りかわり」
p58~59「新潟県編入への動き」
p63~65「新潟県への編入」
p66~67「編入後の変化」
(6)『新潟もの知り地理ブック』(鈴木郁夫、赤羽孝之/監修 新潟日報事業社 2007)
p124~125「かつて福島県だった!東蒲原」
(7)『東蒲原郡史』資料編6 近現代(東蒲原郡史編さん委員会/編 東蒲原郡史編さん委員会 2003)
p158~165「第一項 新潟県編入」
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
-
- 北陸地方 (214)
- 参考資料
- キーワード
-
- 若松県
- 東蒲原郡
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 登録番号
- 1000189710