レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2022年3月10日
- 登録日時
- 2022/10/11 16:02
- 更新日時
- 2022/10/30 09:27
- 管理番号
- 中央-1-0021583
- 質問
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未解決
江戸~明治時代ごろ、現在の北浦和公園の場所に何があったのか知りたい。
- 回答
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現在の北浦和公園の場所に江戸時代や明治時代に何があったかについて書かれている資料は見つからなかった。
- 回答プロセス
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参考として、以下のインターネット情報および資料を紹介した。(インターネット情報の最終確認日:2022年10月30日)
・歴史的農業環境閲覧システム
https://habs.rad.naro.go.jp/index.html
当時の大まかな地図は、こちらのサイトから確認することができる。
ページの真ん中付近に「過去と現在の地図を比較したい場合は、比較地図をご覧下さい」と案内がある。「比較地図」をクリックし、北浦和公園の場所をズームアップしていくと、地図が作成された当時(明治13年)は「楢林」であったことがわかり、周囲には畑や茶畑が広がっている様子がうかがえる。
なお、『浦和市史 通史編3』(浦和市総務部市史編さん室/編 1990年)によると、火葬場が北浦和公園の地に設けられたのは、明治40年7月とされている。(p570) 火葬場設置までの期間、この土地がどのように使われていたのかは、図書館資料やインターネット資料を探しても、見つけることができなかった。
参考として、調査に使用した下記資料を紹介した。
(1)『浦和市史』浦和市総務部市史編さん室/編 浦和市 1974年~
(2)『浦和のあゆみ』[浦和市] [1974]年
(3)『浦和のなりたち 再版』但馬 太良/著 国史教育研究会 1956年
(4)『北浦和発展史』松本 正一/著 松本 正一 1973年
(5)『北浦和歴史再発見 開館40周年記念北浦和歴史発掘プロジェクト』さいたま市立北浦和図書館/編 さいたま市立北浦和図書館 2014年
(6)『新編埼玉県史』埼玉県 1980年~
(7)『武蔵国郡村誌』埼玉県/編纂 埼玉県立図書館 1953年~
(8)『大日本地誌大系 新編武蔵風土記稿』雄山閣 1972年~
(9)『ウォーク・イン・中山道浦和宿』さいたま市立浦和博物館/編 さいたま市立博物館 2004年
(10)『中山道を行く 1』荻野悌/著 文献出版 1987年
(11)『地図で見るさいたま市の変遷 明治・大正・昭和・平成の4代120余年の歴史が読める』 日本地図センター 2003年
(12)『古地図を楽しむ』埼玉県立文書館/編 埼玉新聞社 2008年
(13)『明治前期測量2万分1フランス式彩色地図 第一軍管地方二万分一迅速測圖原圖覆刻版 埼南7』日本地図センター 1997年
- 事前調査事項
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大正時代に北浦和公園の場所に旧制浦和高等学校や火葬場があったことは調査済。
- NDC
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- 関東地方 (213 10版)
- 参考資料
- キーワード
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- 北浦和公園
- さいたま市浦和区
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000322501