レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 登録日時
- 2018/03/15 15:57
- 更新日時
- 2018/06/02 12:33
- 管理番号
- H28-002
- 質問
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解決
「名栗広報」昭和46年に名栗村の村章決定の経緯等についての記事があれば見たい。
『県内市町村のシンボル』(埼玉県県民文化課/編 埼玉県 1983)p17に「紋章の制定日 昭和46年4月1日」とあり、確認したい。
- 回答
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指定された「名栗広報」昭和46年を確認したが、村章について記述はなかった。
「名栗広報 150号」(昭和59年3月13日)p3に村の紋章決定の経緯、紋章について、公募で決まったとの記述あり。
記事中に
「名グリ」を円形で表し、住民の融和と発展を象徴する。既存のものを図化した」とあり。
「名栗広報 148号」(昭和58年10月10日)p3に「村章等を募集」の記事あり。
市職員(旧名栗村)に確認し、「昭和30年代に、当時の職員が村章を作り、それが使われていたが、
正式に決定したのは、昭和59年の公募(上記)の時」とのことがわかり、回答した。
- 回答プロセス
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「名栗広報」昭和46年を確認。
村章についての記事は見つからなかった。
昭和46年の「名栗広報」発行日は1月16日(83号)、2月10日(84号)、8月5日(85号)、10月5日(86号)で、
その内容を確認したが、村の紋章についての記述は無し。
「名栗広報 150号」(昭和59年3月13日)p3に村の紋章決定の経緯、紋章について、公募で決まったとの記述あり。
記事中に
「名グリ」を円形で表し、住民の融和と発展を象徴する。既存のものを図化した」とあり。
「名栗広報 148号」(昭和58年10月10日)p3に「村章等を募集」の記事あり。
市職員(旧名栗村)に確認したところ、昭和30年代に、当時の職員が村章を作り、それが使われていたが、
正式に決定したのは、昭和59年の公募(上記)の時とのこと。
その他、下記の資料を確認したが、該当の記述は見つからなかった。
『名栗村史』(名栗村史編纂委員会∥[編] 名栗村 1982)
『名栗の歴史』(飯能市教育委員会 2010)
『特別展 名栗の歴史』(飯能市郷土館 2008)
『埼玉県市町村誌 第7巻日高町・大井町・鶴ケ島町・三芳町・名栗村』
(埼玉県教育委員会 1975)
『角川日本地名大辞典 11 埼玉県』(角川書店 1980)
p159-188「名栗村」村章は記載されているが、由来等の記述なし。
- 事前調査事項
- NDC
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- 日本 (291 9版)
- 関東地方 (213 9版)
- 参考資料
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- 「名栗広報 148号」(名栗村 昭和58年10月10日)
- 「名栗広報 150号」(昭和59年3月13日)
- キーワード
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- 名栗村
- 飯能市
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介 事実調査
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000232560