レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2019/08/23
- 登録日時
- 2019/11/18 00:30
- 更新日時
- 2019/11/18 00:30
- 管理番号
- 6001040130
- 質問
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解決
江戸城の「御裏御門切手番」とはどんな職務だったのか知りたい。
- 回答
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次の資料に記載あり。
■『国史大辞典 2 う-お』(国史大辞典編集委員会/編 吉川弘文館 1980.7)
p183 うらもんきってばんのかしら 裏門切手番頭
次のような内容の説明あり。
・江戸城本丸の切手門番所に詰め、同門の警備と出入りの監督にあたる。
・留守居支配、四百石高、焼火間席、定員六人。一人に同心二十人が付属。
・切手とは大奥関係の通行証のこと。
・女中たちの出入りや、荷物の出入りを監視。長物・葛籠など、十貫目以上のものは蓋をあけて内容を検査。
・西ノ丸裏門には、若年寄支配の裏門番頭が勤務し、同じく切手門に切手番頭が勤務。
■『国史大辞典 4 き-く』(国史大辞典編集委員会/編 吉川弘文館 1984.2)
p161 きってばん 切手番
次のような内容の説明あり
・裏門切手番の略称。留守居支配。
・切手番所に詰め、江戸城本丸の裏門(大奥に通じる切手門)を警護、そこを出入りする大奥女中の手形を査検した(西ノ丸大奥にも同様の職制あり)。
・寛永14年(1637)9月に役職設置後の定員の変遷について記載あり。
・番頭:四百石高・役料二百俵・御目見以上・布衣・焼火間詰
同心:ニ十俵二人扶持・御目見以下・譜代場
(参考:『古事類苑 官位部』)
■『江戸幕府大事典』(大石学/編 吉川弘文館 2009.12)
p77 裏門切手番之頭(うらもんきってばんのかしら)
次のような内容の説明あり。
・江戸城切手門の警護をする役職。留守居支配。
・寛永14年(1637)9月18日に設置。定員は6名、御目見以上の役職(布衣(ほい)以下)
・席次:焼火間(たきびのま)
・役高:四百俵(享保8年(1723)制定)
※寛文6年(1666)から天和2年(1682)までの間、役料として二百俵支給。
・職務:
・各人に付属している二十人の同心(二十俵二人扶持、御家人としての家格は譜代)を指揮
・女中衆や荷物の通行を監視する
・重さ十貫目を越える長持(ながもち)・櫃(ひつ)・葛籠(つづら)であれば聞いて検分する
警護する「切手門」については次のような説明あり。
p488 切手門(きってもん)
・本丸大奥の北東にある門。
・北桔橋(きたはねばし)門を出て、直進すると南にある。
・ニ丸方面からは、喰違(くいちがい)門・上梅林(かみばいりん)門を経て西側、三丸方面からは、下梅林門・上梅林門を経て西側
・この門を過ぎると、東側に張番所があり、西側一帯は長局(ながつぼね)向がある。
・警備は切手番頭同心が担当した(参考:『古事類苑』居処部)。
■『江戸幕府役職集成』(笹間良彦/著 雄山閣 1976)
「老中支配の諸役」に次のような内容の説明あり。
p161-162
裏御門切手番頭
・四百石高、焼火の間席で定員は六人、下に同心が十九人つく。
・裏門を守衛し、通行を監査する。特に大奥女中は外出を願うと、許可の切手が渡されるから、それを改める。
・西の丸には若年寄支配の裏御門番頭がおり、ここに御留守居支配の御切手番頭が共につめていた。
・四百石高焼火の間席で六人が定員で二人宛交替勤務である。下に同心がつくが『武鑑』によると不同としているから別に定員はなかったとみえる。
・『徳川礼典録』に基づいたの江戸城の図版があり、切手御門や切手番所の位置がわかる(p162)。
[事例作成日:2019年8月23日]
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
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- 日本史 (210 10版)
- 参考資料
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- 国史大辞典 2 国史大辞典編集委員会∥編 吉川弘文館 1980.7 (183)
- 国史大辞典 4 国史大辞典編集委員会∥編 吉川弘文館 1984.2 (161)
- 江戸幕府大事典 大石/学∥編 吉川弘文館 2009.12 (77,488)
- 江戸幕府役職集成 改訂増補版 笹間/良彦∥著 雄山閣 1976 (161-162)
- キーワード
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- 切手番(きってばん)
- 江戸幕府役人(えどばくふやくにん)
- 幕臣(ばくしん)
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- その他
- 質問者区分
- 個人
- 登録番号
- 1000265399