レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2019/08/27
- 登録日時
- 2019/11/18 00:30
- 更新日時
- 2019/11/18 00:30
- 管理番号
- 6001040131
- 質問
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解決
江戸城の「御裏御門切手番」の役職を務めた人物について知りたい。どんな資料で調べることができるか。
- 回答
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歴代の「御裏御門御切手番頭」については次の資料で調べることができる。多巻のものは全資料を調査していないが、調査した限りでは、同心などの配下については配置人数のみ記載があり、個別の名前は見当たらず。
■『柳営補任』
『国史大辞典 14』「りゅうえいぶにん 柳営補任」の項目(p584)によると「幕初から幕末に至る江戸幕府諸役人の任免・転補を記したもので、それぞれの役職ごとに分類され、各役職への就任者の順に、就任年月日、前任職名、官位、加増石高、辞・免・卒・転出の年月日、転出職名などが記されている」とあり、役職から担当者名がわかる資料の一つ。この項目では、『柳営補任』以外の江戸幕府諸役人任免記類についても、具体的な史料名を紹介している。
本史料は「大日本近世資料」のシリーズで次の通り翻刻されているが、この資料は未確認。
・『大日本近世史料 [7-1]~ [7-8] 柳営補任 1~6,索引 上・下』(東京大学史料編纂所/編纂 東京大学出版会 1963-1970)
東京大学資料編纂室データベース(所蔵史料目録データベース)で原本の画像を閲覧できるためそこで確認。
・『柳営補任(抄本) 十七』
御裏門御切手番之頭:12丁~18丁(画像番号:0120~0181)
幕末に至るまでの、一番組から六番組までの各番頭が一覧されている。
https://clioimg.hi.u-tokyo.ac.jp/viewer/view/idata/T16/II_243ro_/119-A/16/0120?m=all&n=20 (2019/8/27現在)
その他、年単位で番頭の情報を調査できるものとして次の資料がある。
<分限帳>
■『御家人分限帳 (日本史料選書23)』(鈴木寿/校訂 近藤出版社 1984.7)
本史料は解題によると次のとおり。
・内閣文庫本『御家人分限帳』(写本、全十七冊)の全文翻刻、解題及び索引を附載
・徳川幕府中期の、ほぼ全職員二万ニ八九一人を役職別に網羅収載
・原本の成立は正徳2年(1712)と推定
p260下、261上に「御裏御門切手番頭」6名の名前(大平角太夫、松風伊左衛門、田中伝右衛門、内田重左衛門、石野新五兵衛、小林吉太夫)と、干支(おそらく幕府職員としての登録年度)、当該年齢、役料等の事項が記載されている。
<武鑑>
1.翻刻されている資料
■『文化武鑑』
解題によると本史料は、文化元年(1804)~文化14年(1817)の14年間にわたり刊行された『新版改正武鑑』(須原屋蔵版)を逐年毎に翻刻し、「大名編」「役職編」として編集したもの。全7巻のうち「役職編」は次の通り。
2巻(文化元~四年)/4巻(文化五~八年)/6巻(文化九~十二年)/7巻(文化十三~十四年)
それぞれの年度について、役職名から当該期間の役職者を調査することができる。
(例)『文化武鑑 2 編年江戸武鑑 文化元~四年 役職編』(柏書房 1981)
巻頭に役職名目次がある。p11に「御裏御門御切手番之頭」の各年の掲載ページが記載。
文化元年 p60
【御裏御門御切手番之頭】(御留守居御支配)
「焼火 四百石高 同心十九人宛」と席次など役職の基本事項が書かれ、伊勢主馬助、本山弥太郎、伊藤百助、平岡彦兵衛、和田主税、斎藤喜一郎の6名の名前や屋敷地などが書かれている。文化2年(p158)、文化3年(p256)、文化4年(p355)
■『文政武鑑』
解題によると本史料は、文政元年(1818)~文政12年(1829)に刊行された『新版改正武鑑』(須原屋蔵版)を翻刻・編集したもの。全5巻のうち「役職編」は2巻(文政元~四年)/4巻(文政五~八年)だが、文政9年から12年のものは未刊行。
調べ方は1の『文化武鑑』同様。
(例) 『文政武鑑 2 編年江戸武鑑 文政元~四年;役職編』(柏書房 1983)
役職名目次p12に「御裏御門御切手番之頭」の各年の掲載ページが記載。文政元年(p63)には、杉浦五郎左衛門、三橋藤兵衛、真崎彦左衛門、南条助七郎、波多野忠蔵の6名の名前と屋敷地などが書かれている。文政2年(p178 ※目次ではp177だが178が正しい)、文政3年(p290)、文政4年(p406)
2.影印
翻刻されていないためくずし字を読む必要があり、不鮮明な部分もあるが、江戸期を通しての武鑑が網羅的に収録されており有用。
■ 『徳川幕府大名旗本役職武鑑』
江戸中期以降の『袖玉武鑑』、『袖珍有司武鑑』を中心として、年代順に諸役人の名鑑類の影印を収録。
(例)『徳川幕府大名旗本役職武鑑 1』(渡辺一郎/編 柏書房 1967)
『寛保武鑑』(享保二年/一七四二年)はp55に「御切手番頭」6名の名前と役料あり。次の『袖玉武鑑』(延享四年/一七四七年)はp90に「御切手番頭」の6名の名前あり。
■ 『江戸幕府役職武鑑編年集成』
江戸時代初期の正保元年(1644)から明治元年(1868)に刊行された各種武鑑の幕府諸役人の名簿である「役人付」をまとめたもの。役職から調査できるものも多数収録。
(例)『江戸幕府役職武鑑編年集成 1 正保元年-寛文十二年』(深井雅海/編 東洋書林 1996.9)
明暦元年(1655)刊『知行付・役人付』は14丁表(p209)に、この時は7名の「御切手番頭」の名前あり。万治2年(1659)刊『江戸鑑』では、16丁裏(p332)に6名の「御切手番頭」の名前がある。
武鑑は地位の高い役職から順に掲載されており、武鑑の種類が違っても名簿内の役職の配列はおおむね類似している。また、冒頭のページに目次が配されていることもある。
<その他>
■『寛政譜以降旗本家百科事典』
第6巻が人名索引となっており、武鑑等で調査したい人名がわかれば、該当の人物の家筋、家禄、役職歴、居住地など、様々な史料から集めた情報を網羅的に見ることができる。上記『柳営補任』出典の情報もあり。
調べ方は次の通り。
(例)『寛政譜以降旗本家百科事典 第1巻』(小川恭一/編著 東洋書林 1997.11)
文化元年の武鑑で御裏御門御切手番之頭として記載されていた「伊勢主馬助」は第6巻の総索引で調べたところ通番488に掲載されていることがわかる。第1巻p273に掲載。「伊勢主馬助(貞侯)」甲府勤番などを経て、裏門切手番之頭に着任したのは寛政11年(1799)6月6日、その後「文化元年(1804)7月11日 死」となっている。
また、「参考史料一覧」(p.xvi)には、江戸期の旗本について調査する際の基本史料や役立つ資料が掲載されている。
[事例作成日:2019年8月27日]
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
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- 日本史 (210 10版)
- 参考資料
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- 御家人分限帳 鈴木/寿∥校訂 近藤出版社 1984.7 (260-261)
- 文化武鑑 2 柏書房 1981 (60,158,256,355)
- 文政武鑑 2 柏書房 1983 (63,178,290,406)
- 徳川幕府大名旗本役職武鑑 1 渡辺/一郎∥編 柏書房 1967 (55,90)
- 江戸幕府役職武鑑編年集成 1 深井/雅海∥編 東洋書林 1996.9 (209,332)
- 寛政譜以降旗本家百科事典 第1巻 小川/恭一∥編著 東洋書林 1997.11 (273)
- https://clioimg.hi.u-tokyo.ac.jp/viewer/view/idata/T16/II_243ro_/119-A/16/0120?m=all&n=20 (東京大学資料編纂室データベース『柳営補任 十七』12丁(2018/8/27現在))
- キーワード
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- 武鑑(ぶかん)
- 幕臣(ばくしん)
- 江戸幕府役人(えどばくふやくにん)
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 人物・団体
- 質問者区分
- 個人
- 登録番号
- 1000265383