レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 20201114
- 登録日時
- 2021/02/06 00:30
- 更新日時
- 2021/02/28 14:41
- 管理番号
- 0000201576
- 質問
-
解決
波多親の後妻秀の前との年齢差について書かれた資料はありますか。
- 回答
-
次の資料に記載がありました。
(1)『松浦黨盛衰史』 井手 徹/著 長崎市 1999
p.81 ~上松浦の波多家へ輿入れとなった。時に天正10(1582)年、秀の前(安子姫)は花嫁といえど遅咲きの36歳、姥桜というべきか。一方の波多三河守は私の試算では19歳に過ぎなかった。女性が約17歳も年長ということだ。
また、参考として、「秀の前」に関する資料をご案内します。
(2)『戦国の肥前と龍造寺隆信』 川副 義敦/著 宮帯出版社 2018
p.81 この姫は当時7歳で名を於安といい、秀前(ひでのまえ)と称して蓮池城主小田鎮光に嫁し、鎮光の死後、上松浦の吉志見城(岸岳城)城主波多親に再嫁した人で、後の妙安尼である。
(3)『佐賀の戦国人名志 増補改訂版』 川上茂治/著 佐賀新聞社 2002
p.388-390 「秀の前」 天正5(1577)年秀の前は、波多三河守の後室に再縁した。~(中略)夫の三河守が筑波山に流されると、秀の前は佐賀に戻り仏門に帰依、妙女尼と改めた。
(4)『岸岳城一連記』 松尾 香/著 伊万里市 1997
p.25 「波多三河守の妻お安(秀の前)」 ~隆信は、上松浦三河守親に再婚させた。
(5)『松浦党の顛末と波多三河守親の縁』 松尾香/著 伊万里市 2006
p.120-122 「三河守後室(秀の前)」 ~隆信はお安を三河守と再婚させた。
p.122 「32歳暁を待たずして自害してぞ果てにける」とある。(別説)三河守死没を知り、世を果敢なみその後、寛永元(1624)年7月30日79歳の天寿を全うしたとある。
(6)『松浦党研究の歩み』 富岡行昌/編 2003
p.37-51 「秀の前の生涯」
p.44-45 「龍造寺隆信、波多鎮にお安を嫁がせる」 天正5(1577)年隆信は養女で小田鎮光の後家となって実家に帰っているお安を波多鎮に嫁がせることにした。~(中略)この鎮とお安日取りにはいろいろの説がある。『西肥戰記』には、天正3(1575)年と記し、『鶴田家伝』には天正5(1577)年とし、『隆信公御年譜』には、天正12(1584)年としている。しかし、お安の再婚年齢を31歳としてあるので、死去の年から逆算すると天正5(1577)年が妥当である。
(7)『松浦党研究 第10号』 松浦党研究連合会/編 芸文堂 1987
p.62-64、p.64-66、p.66-68、p.69は(6)と同内容。
(8)『松浦叢書 第1巻』 吉村 茂三郎/編 名著出版 1974
p.251 「76 波多三河守落去始終之事」 此三河守妻は、龍造寺隆信の娘にて、容色類なき美女の聞へ有りければ、~(略)。
(9)『肥前陶磁史考 復刻版』 中島 浩気/著 青潮社 1985
p.66 「お安の方の再嫁」 天正5(1577)年隆信は波多鎮の後室に養女安子(お安の方・後の秀の前)を自ら進めて婚家させ、婚姻関係を結んだ(『鶴田家家伝』)。このことについては、『隆信公御年譜』には、天正10(1582)年とあり、諸書により若干の相違があるが、安子の当時の年齢は31歳を記されており、やはり逆算すれば天正5(1577)年の再嫁が正しいようである。
p.91 夫人は村中龍造寺なる豊前守胤榮の遺子にして養女である。始め蓮池城主小田弾正少弼鎮光に嫁せしも、鎮光が大友宗麟に興して隆信に反せしより誅せられ、夫人は波多親の後室に再嫁せしものにて容色秀麗の婦人であった。
(10)『佐賀百寺巡拝』 溝口 教章/編 佐賀県寺院名鑑刊行会 2012
p.62 「曹洞宗 泰祐山 妙安寺」(佐賀市川原町1-9 秀の前は「妙安尼」となって庵室を建て仏門に入る。寛永元(1624)年79歳で死去した。
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
-
- 九州地方 (219)
- 参考資料
-
-
(1)井手 徹/著. 松浦黨盛衰史 : 九州の歴史 松浦黨盛衰史. 1999.
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000001-I070981027-00 -
(2)川副義敦 著 , 川副, 義敦. 戦国の肥前と龍造寺隆信. 宮帯出版社, 2018.
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I028723002-00 , ISBN 9784801601048 -
(3)川上茂治 著 , 川上, 茂治, 1933-. 佐賀の戦国人名志 増補改訂版. 佐賀新聞社, 2002.
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000004031407-00 , ISBN 4882981270 -
(4)松尾 香/著. 岸岳城一連記. 松尾 香, 1997. (三河守親にまつわる物語)
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000001-I071133687-00 -
(5)松尾香/著. 松浦党の顛末と波多三河守親の縁. 松尾香, 2006.
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000001-I070870833-00 -
(6)富岡行昌/編. 松浦党研究の歩み. 富岡行昌, 2003.
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000001-I071055353-00 -
(7)松浦党研究連合会/編. 松浦党研究 第10号. 芸文堂, 1987.
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000001-I070933131-00 -
(8)吉村茂三郎/編 , 吉村茂三郎. 松浦叢書 第1巻. 名著出版, 1974.
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000001-I026237808-00 -
(9)中島浩気 著 , 中島, 浩気, -1955. 肥前陶磁史考. 青潮社, 1985.
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000001788622-00 -
(10)溝口 教章/編. 佐賀百寺巡拝 : 露座の石仏石像ほとけたち 佐賀市編. 佐賀県寺院名鑑刊行会, 2012.
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000001-I071184171-00
-
(1)井手 徹/著. 松浦黨盛衰史 : 九州の歴史 松浦黨盛衰史. 1999.
- キーワード
-
- 秀の前
- 波多親
- 妙安尼
- 波多三河守
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 登録番号
- 1000293543