レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2022/10/26
- 登録日時
- 2022/10/30 00:30
- 更新日時
- 2022/11/02 14:03
- 管理番号
- R1001871
- 質問
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解決
黒島にある「女部屋」の事について。
- 回答
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黒島天主堂から北へ少し行った東堂平の海岸近くにある建物の中にある。「女部屋」又は「女子部屋」と呼ばれ正しくは「愛苦会修道院」という。
信仰に生きる未婚女性の共同生活の場としたのが始まりで、全て自給自足で生活をしていた。隔離された修道院ではなく、外部との接触も自由、結婚も可能であるという特異な性格をもつ。(複数書籍のまとめ)
- 回答プロセス
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1. 図書館館内蔵書検索(OPAC)フリーワード”女部屋”で検索。
→数件ヒット。
・『佐世保建築士会20ねんのあゆみ』1973.10 上山良吉/編
→黒島の天主堂、修道女の女部屋(外観)の写真が掲載。
・『ふるさと歴史散歩・佐世保』1973 本田三郎/著
→明治17年頃から修道会が設立され、初めは男部屋、女部屋が設けられたが男部屋はまもなく解散。女部屋だけが残ったという。 …すべて自給自足で、みずから田畑を耕作し、牛や羊を飼い、農業のほかに保育所の経営も行っている。(一部抜粋)
・『佐世保市の120年』2022.9 中島眞澄/監修
→女部屋内部の様子が写っている写真が掲載。
2. 郷土資料室(1番)キリスト教関連の本を直接確認。
・『キリシタンの黒島』1967.10 大西 敞/著
→そこは天主堂より約1粁離れた東堂平部落である。島の人は「部屋」と呼び、又「女部屋」とも「女子部屋」とも言っている。正しくは「愛苦会修道院」と言い、其の名の通り女子修道院である。(一部抜粋)
・『黒島と切支丹史蹟』1957.11 渡辺 銕次/著
→外部との接触も自由であり、家庭のある人は自宅にも帰れるという自由さを持ち相手があれば結婚も又可能で信仰に生る女性の修養道場と思われ特異な存在である。(一部抜粋)
調査終了。
- 事前調査事項
- NDC
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- 北海道地方 (211)
- 各教派.教会史 (198)
- 参考資料
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- 佐世保建築士会20ねんのあゆみ 上山 良吉/編 長崎県建築士会佐世保支部 1973.10 520.2
- ふるさと歴史散歩・佐世保 本田三郎/著 親和銀行済美会 1973 291.93 (p301~304)
- 佐世保市の120年 中島眞澄/監修 樹林舎 2022.9 219.306 , ISBN 978-4-908436-81-9 (p212)
- キリシタンの黒島 大西 敞/著 大西 殻 1967.10 (p54~57)
- 黒島と切支丹史蹟 渡辺 銕次/著 佐世保観光協会 1957.11 198 (p11)
- キーワード
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- 女部屋
- 黒島
- 長崎県
- 修道院
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000323213