レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2020/03/09
- 登録日時
- 2020/04/01 00:30
- 更新日時
- 2020/04/01 00:30
- 管理番号
- 6001043258
- 質問
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解決
天王寺区にある「齢延寺」を建立した人物は誰か。またその人物と大坂との関係について分かる資料はあるか。
- 回答
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天王寺区にある「齢延寺」について調べたところ、鳥羽藩主であった稲垣氏の祖先が元和9年に建立したようです。
確認した資料は以下の通りです。
・『大阪府全志 巻之2』(井上正雄/著 大阪府全志発行所 1922)
p.500に「齢延寺」に関する次の記述があります。
「齢延寺は源聖寺坂の上にあり、生魂山と号し、曹洞宗光岳寺(志州鳥羽)末にして釈迦牟尼仏を本尊とす。元和9年3月の草創にして、開山は義春和尚・施主は志摩国の領主稲葉信濃守の祖先平右衛門重樹なり。同家代々の菩提寺にして、同家は御供料として毎年米拾石を寄せて明治の初年に至るまで継続せり。(後略)」
「稲葉信濃守」とありますが、次にご紹介する『藩史大事典 第4巻』の記述とあわせると、「稲垣信濃守」の誤りかと思われます。
・『藩史大事典 第4巻 中部編』(木村礎/[ほか]編 雄山閣出版 1989.1)
「鳥羽藩」の章(p.509-522)に鳥羽藩の藩主の一覧があり、稲垣氏が藩主だったことが分かります。齢延寺についての記述はありません。
「藩主一覧」(p.512-515)によると、天保13年から慶応2年まで藩主であった「稲垣長明」ほか、稲垣家が鳥羽藩に封じられた最初の藩主「昭賢」やその子孫となる「長続」といった藩主が「信濃守」であったことが確認できます。
・『寛政重修諸家譜 第6』(続群書類従完成会 1980)
鳥羽藩主となった稲垣家の系図があります(p.389-393)
それによると、齢延寺が建立された元和9(1623)年の当主は、「稲垣重綱」(通称・平右衛門)です。重綱は、慶長17(1612)年に父・長茂の遺領を継ぎ、承応3(1654)年に亡くなったとあります。
重綱の項(p.390-391)には、齢延寺についての記述はありませんが、大坂に関係する事項が記載されていました。
「元和元年大坂御陣のとき酒井家次に属して従ひたてまつり、(後略)」
「[元和]九年大坂の定番となり、寛永三年御上洛のとき八月十九日かの地にいて従五位下摂津守に叙任す。(中略)慶安元年九月大坂の城代にすゝみ、二年十月二十五日職を辞し、四年九月十九日封地をうつされ三河国刈谷城をたまふ」
なお、稲垣重綱の大坂定番就任については、『寛政重修諸家譜』と同じく元和9年とする資料と、元和7年とする資料がありました。
・『大阪市史 第1』(大阪市参事会/編 大阪市参事会 1913)
p.278に「定番は二員あり、元和九年高木正次京橋口定番と為り、稲垣重綱玉造口定番と為れるを嚆矢とす。」とあり、元和9年としています。
・『大阪編年史 第26巻 拾遺』(大阪市立中央図書館市史編集室/編集 大阪市立中央図書館 1978)
「大坂定番一覧」が掲載されていますが(p.9-11)、玉造口定番の稲垣重綱、京橋口定番の高木正次とも就任日は「元和七年三月二十日」とあります。
〔事例作成日:2020年3月9日〕
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
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- 寺院.僧職 (185 10版)
- 参考資料
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- 大阪府全志 巻之2 井上/正雄∥著 大阪府全志発行所 1922
- 藩史大事典 第4巻 木村/礎∥[ほか]編 雄山閣出版 1989.1
- 寛政重修諸家譜 第6 新訂 続群書類従完成会 1980
- 大阪市史 第1 大阪市参事会∥編 大阪市参事会 1913
- 大阪編年史 第26巻 大阪市立中央図書館市史編集室∥編集 大阪市立中央図書館 1978
- キーワード
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 大阪
- 質問者区分
- 個人
- 登録番号
- 1000279945