レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2020/12/28
- 登録日時
- 2021/01/29 00:30
- 更新日時
- 2021/01/29 00:30
- 管理番号
- 6001047952
- 質問
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解決
河内長野市にある烏帽子形八幡神社(烏帽子形八幡宮)について知りたい。
- 回答
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まず、現在河内長野市にある「烏帽子形八幡神社」が「烏帽子形八幡宮」から社名が変化した神社であるとの記述が次の資料にある。
■『河内長野市史 第3巻 本文編 近現代』(河内長野市史編修委員会/編集 河内長野市 2004.9)
第1章第5節「明治前期の教育と宗教」の「二 宗教の動向」(p.197-221)の「神仏分離と村の社」の項(p.197-201)に「表1-16 近世の神社」が掲載されている。この表に「烏帽子形八幡宮」が記載され、村名、社名、祭神、境内社、寺が記されている。(p.200-201)
この記述の出典は「元禄五年十一月錦部郡之内本多隠岐守領分寺社帳写」。
また、「神社制度と神社の社格」の項(p.202-204)には「表1-17 明治12年「大阪府神社明細帳」にみる神社」が掲載されている。この表には「烏帽子形八幡神社」が記載され、神社名、祭神、所在、明治5年の社格、境内社が記されている。(p.202-203)
この表については、「明治十二年(一八七九)、政府の指示により作成された大阪府神社明細帳にみる本市域の神社である。神社制度が整った時点で、公募に記された神社である。」(p.204)とあり、記載されている34社の社名は「表1-16」中の社名から変化が見られるとし、その変化を列記している。その中に、「[喜多村]烏帽子形八幡宮―烏帽子形八幡神社」が記されている。(p.205)
なお、「表1-16 近世の神社」の出典とあった「元禄五年十一月錦部郡之内本多隠岐守領分寺社帳写」の抜粋が『河内長野市史 第7巻 史料編』(河内長野市役所 1980)のp.137-154に収録されており、「烏帽子形八幡宮」はp.142に記載がある。
『河内長野市史』には、「烏帽子形八幡宮」または「烏帽子形八幡神社」について他にも記述がある。
■『河内長野市史 第2巻 本文編 近世』(河内長野市史編修委員会/編集 河内長野市 1998.12)
第2章第2節「市域村落の支配領主・村高・戸口の変遷」
「喜多村」の項(p.180-181)には、写真2-9として『河内鑑名所記』に掲載されている「烏帽子形八幡宮」の図版が掲載されている。(p.181)
第7章第5節「近世の社寺」
「一 市域の神社」「烏帽子形八幡神社」の項(p.560-561)に同神社の概要が記載されている。
また、巻頭の口絵23に「烏帽子形八幡神社」の写真が掲載されている。
■『河内長野市史 第3巻 本文編』(河内長野市史編修委員会/編集 河内長野市 2004.9)
第1章第5節「明治期の教育と宗教」
「二 宗教の動向」「神仏分離と寺院」の項(p.211-216)
明治元年の神仏分離により、「廃寺に至ったものも少なくない。」として、「表I[ローマ数字の1]-16」から11ヵ寺が挙げられており、その中に「[喜多村]烏帽子形八幡宮の正保寺」が記載されている。(p.211)
第2章第4節「明治後期の教育と文化」
「二 村と宗教」「明治末の神社合併」の項(p.390-392)
「表2-49 明治末期の神社の合併」が掲載されている。(p.392)
明治40年10月19日に「八幡神社 三日市村大字小塩」「烏帽子形八幡神社 [三日市村大字]喜多」「赤坂上野山神社 [三日市村大字]三日市」が「烏帽子形八幡神社に合祀」されたとある。
第4章第3節「昭和前期の教育と文化」
「六 国宝・史跡その保存」「国宝保存法の制定」(p.776-779)に「表IV[ローマ数字の4]-50 国宝保存法による指定一覧」が掲載され、「烏帽子形八幡神社本殿」が記されている。(p.778-779)
■『河内長野市史 第11巻 別編』(河内長野市史編修委員会/編集 河内長野市 2006.3)
索引があり、「索引凡例」に「『河内長野市史』本文編 第1巻~3巻までの本文・図・表から、人名・地名・件名などを抽出し、その掲載箇所を示したもの」とある。
p.226に「烏帽子形八幡宮」「烏帽子形八幡神社」について記載のある巻とそのページ数が記載されている。
『河内長野市史』以外では、次の資料に「烏帽子形八幡神社」について記載されている。
■『大阪府史蹟名勝天然記念物 第1冊』(大阪府学務部/編 清文堂出版 1974)
昭和6年刊の復刻資料。「烏帽子形八幡神社」の項(p.101-102)があり、次の記述がある。
「此の記事は、現今当社の什物にして元禄五年十月十三日筆の「河州烏帽子形八幡宮覚」一巻の舊記の概要を摘録せるものなり」(p.102)
■『日本歴史地名大系 28‐[2] 大阪府の地名』(平凡社 1986.2)
「河内長野市」「烏帽子形八幡神社」の項(p.1193)に「元禄五年(一六九二)の河州烏帽子形八幡宮覚(社蔵)」からの記述がある。
また、社名について次の記述がある。
「「河内名所図会」は、上田村にあり上田八幡宮ともよばれたとするが、これは烏帽子形山が喜多・上田・小塩三村立会であったためであろう。」
■『大阪府全志 巻之4』(井上正雄/著 大阪府全志発行所 1922)
第3篇第2章第1節「南河内郡」
「第二十一項 三日市村」「大字喜多」「烏帽子形八幡神社」の項(p.307-308)がある。
■『大阪府神社名鑑』(大阪府神道青年会/編 大阪府神道青年会 1971)
「河内長野市之部」「烏帽子形八幡神社」の項(p.374)がある。
■『重要文化財烏帽子形八幡神社本殿修理工事報告書』(烏帽子形八幡神社本殿修理委員会/編集 烏帽子形八幡神社本殿修理委員会 1966)
第1章1「建造物の概要」(p.1-3)
次の資料には「烏帽子形神社」として記載されている。
■『忠義能魁 楠氏遺跡録』(松蔭堂主人/編 松蔭堂 1911)
「烏帽子形神社」の項(p.34-35)
[事例作成日:2020年12月28日]
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
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- 神社.神職 (175 10版)
- 参考資料
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- 河内長野市史 第2巻 河内長野市史編修委員会∥編集 河内長野市 1998.12 (197-205、211、392、778-779)
- 河内長野市史 第3巻 河内長野市史編修委員会∥編集 河内長野市 2004.9 (181、560-561)
- 河内長野市史 第7巻 河内長野市役所 1980 (142)
- 河内長野市史 第11巻 河内長野市史編修委員会∥編集 河内長野市 2006.3 (226)
- 大阪府史蹟名勝天然記念物 第1冊 大阪府学務部∥編 清文堂出版 1974 (102)
- 日本歴史地名大系 28‐[2] 平凡社 1986.2 (1193)
- 大阪府全志 巻之4 井上/正雄∥著 大阪府全志発行所 1922 (307-308)
- 大阪府神社名鑑 大阪府神道青年会∥編 大阪府神道青年会 1971 (374)
- 重要文化財烏帽子形八幡神社本殿修理工事報告書 烏帽子形八幡神社本殿修理委員会∥編集 烏帽子形八幡神社本殿修理委員会 1966 (1-3)
- 花咲く街へ 桂会出版部 1911 磯ヶ谷/亮一∥著
- https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/900290/35 (国立国会図書館デジタルコレクション『忠義能魁 楠氏遺跡録』(松蔭堂主人/編 松蔭堂 1911))
- キーワード
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 大阪
- 質問者区分
- 個人
- 登録番号
- 1000293116