レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2018年4月27日
- 登録日時
- 2018/04/16 15:59
- 更新日時
- 2018/05/15 17:43
- 管理番号
- 小野30-028
- 質問
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解決
七福神の由来とは何か
- 回答
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①『国史大辞典 6』吉川弘文館 P864
②『日本仏教史辞典』吉川弘文館 P425、426
③『世界宗教大事典』 平凡社 P818
①②③より、七福神とは、幸福をもたらす民間信仰の七神。一般に夷(えびす)・大黒(だいこく)・毘沙門天(びしゃもんてん)・弁才天(べんざいてん)・福禄寿(ふくろくじゅ)・寿老人(じゅろうじん)・布袋(ほてい)をいうが、寿老人は福禄寿と同体異名だとして、近世以降は代りに吉祥天(きちじょうてん)または猩猩(しょうじょう)を配することもある。
福禄寿、寿老人は、南極星の精であるとされ、中国の道教に由来する。
弁才天は、インドの神であり、吉祥天女とも混同された。
毘沙門天と大黒天は、ともに仏法守護の神で、インドの神に由来する。
大黒天は、厨(くりや)の神として大きな袋を持つ姿から、大国主神とも習合し、農業神として広く民間に受容された。
布袋は、後梁の実在の禅僧契此(かいし)であるが、福徳円満の姿から福神に加えられた。
夷神は、西宮の主神であり、事代主(ことしろぬし)神ともされ、あるいは蛭子(ひるこ)が海から漂着してまつられたものともされる。海辺漁民の信仰から、海運守護もしくは商業神として祭られるようになった。
成立時期は不明だが、七福神などの、福徳授与の信仰は狂言の「夷大国」「夷毘沙門」などにみられることから、室町時代には広まっていたと思われる。
複数の神仏への巡拝も古くから行われていたが、竹林の七賢人になぞらえて、七福神として描かれ信仰されるようになった。
④『国史大辞典 第9巻』吉川弘文館 P398
④より、竹林の七賢人とは、中国、三世紀半ばごろ、不安な政情を逃れ、儒教道徳に反抗して、河南省北東部一帯の竹林に集まり、酒を飲み、琴を弾じ、清談を行った七人のことである。「竹林七軒図」として描かれた。
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
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- 宗教 (160)
- 仏教史 (182)
- 参考資料
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国史大辞典編集委員会 編. 国史大辞典 6. 吉川弘文館, 1985-11.
http://iss.ndl.go.jp/books/R100000074-I000103122-00 , ISBN 4642005064 -
今泉淑夫 編 , 今泉, 淑夫, 1939-. 日本仏教史辞典. 吉川弘文館, 1999.
http://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000002868241-00 , ISBN 4642013342 -
山折, 哲雄, 1931-. 世界宗教大事典. 平凡社, 1991.
http://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000002094366-00 , ISBN 458213002X -
国史大辞典編集委員会 編. 国史大辞典 第9巻 (たかーて). 吉川弘文館, 1988.
http://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000001939682-00 , ISBN 4642005099
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国史大辞典編集委員会 編. 国史大辞典 6. 吉川弘文館, 1985-11.
- キーワード
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- 七福神
- 竹林七賢
- 七賢人
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 言葉
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000234771