レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2020/09/18
- 登録日時
- 2020/10/21 00:30
- 更新日時
- 2020/10/31 14:51
- 管理番号
- R1001628
- 質問
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解決
大村藩はなぜ「広瀬淡窓」という人物に着目して大村に呼び寄せたのか知りたい。
- 回答
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下記資料を紹介しました。
(1)『広瀬淡窓の研究』田中加代/著 ぺりかん社 1993.2 121.57 4-8315-0588-9
(2)『日本思想史辞典』石毛忠/代表編 山川出版社 2009.4 121.02 978-4-634-62210-4
- 回答プロセス
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1.図書館OPACでフリーワード「広瀬淡窓」にて館内所蔵資料を検索。
⇒11件ヒット。質問内容が記載されていそうな資料をピックアップし内容を確認。
・『広瀬淡窓の研究』田中加代/著 ぺりかん社 1993
p101
「候が淡窓を招いたのは、【迂言】の説が自分の考えに合うところがあったからであるという。」との一文あり。
2.「迂言」について書かれた資料がないか再度OPACを検索。
⇒5件ヒット。うち1件所蔵あるも、英語圏の文化に関するもので内容が質問に一致せず。
なお、所蔵なし4件の内容詳細を確認したところ、下記の2件に記載があるようだった。詳細がわからないため今回は紹介せず。
・『日本思想大系38』岩波書店 1976
・『芸の思想・道の思想4(日本思想大系新装版)』岩波書店 1995
3.思想について書かれた資料がないか121番の棚をブラウジング。
⇒・『日本思想史辞典』石毛忠/代表編 山川出版社 2009
p.87に「迂言」を説明した箇所あり。
所蔵資料2点を紹介して調査終了。
- 事前調査事項
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・「広瀬淡窓」という人物について、自館OPACの典拠検索で検索した結果、以下の記載があった。
1782〜1856年。豊後国(現在の大分県)生まれ。儒学者。「桂林荘」「遠思楼」等を建て門下生を指導。著書に「日記」「申聞書」「勤倹約説」など。
・大村藩との関わりを調べる手がかりとして、大村市のホームページを参照。
⇒「五教館の先生としては、(中略)大村藩以外から招いた先生には、千綿の龍頭泉の名前をつけた豊後(現・大分県)日田の広瀬淡窓(ひろせ・たんそう)がいます。」と記載があったが、招いた理由の説明はなし。
https://www.city.omura.nagasaki.jp/kanri/kanko/miryoku70sen/otozu/mesho/1-5.html(最終アクセス2020/10/14)
- NDC
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- 日本思想 (121 9版)
- 参考資料
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- 広瀬淡窓の研究 田中加代/著 ぺりかん社 1993.2 121.57 , ISBN 4-8315-0588-9
- 日本思想史辞典 石毛忠/代表編 山川出版社 2009.4 121.02 , ISBN 978-4-634-62210-4
- 広瀬淡窓評伝 井上源吾/著 葦書房 1993.11 121.57 , ISBN 4-7512-0538-2
- 大村市ホームページ「五教館(ごこうかん)と御成門」 https://www.city.omura.nagasaki.jp/kanri/kanko/miryoku70sen/otozu/mesho/1-5.html 2020/10/14
- キーワード
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- 広瀬淡窓
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000288447