①『少年小説大系 別巻 1』には、『お伽・正チヤンの冒険-壱の巻-』(大正13年7月6日発行,朝日新聞社)の復刻が掲載されている。巻頭には、「正チャンの冒険(織田小星案、東風人画)」と記載されているが、解説等はない。表紙の少年が、丸い房のついた帽子をかぶっていることがわかる。
②『漫画大博物館』には、「お伽 正チヤンの冒険 小星・作 東風人・画」の項目の中で、「「正チヤンノばうけん」は、大正12年1月25日に創刊された日刊タブロイド新聞「アサヒグラフ」に掲載された。米国、英国の新聞に掲載されていた漫画の人気に刺激されたためである。朝日新聞社員織田信恒が小星と名乗り原案を作成、東風人こと樺島勝一が画を描いた。同年の10月20日、朝日新聞の朝刊に移り、のち「お伽 正チヤンの冒険」と改題。」と記載がある。
また、「貳の巻(中略)大正13年9月10日」「参の巻 大正13年10月25日」「四の巻 大正14年1月10日」「五の巻 大正14年3月20日」「六の巻 大正14年6月15日」について、簡単なあらすじが記載されている。
これらの巻のページの一部が掲載されており、主人公の少年が丸い房のついた帽子をかぶっていることがわかる。
③『樺島勝一昭和のスーパーリアリズム画集』には、「「正チャンの冒険」の連載開始。」の項目の中で、下記のとおり、記載がある。(ただし、漢数字の引用は算用数字にあらためた。)
・「樺島は〈アサヒグラフ〉の専属として、グラフ局編集部に勤務する。大正12年1月25日、〈アサヒグラフ〉は創刊。樺島は題字やカットを担当した。政治漫画・社会漫画も描いた。(中略)しかし〈アサヒグラフ〉での仕事とえいばなんといっても創刊号から連載された「正チャンの冒険」だろう。これは吹き出しを用いた初めての漫画として、漫画史の上で重要な作品と位置付けられている。また、主人公がかぶっている大きな毛糸の帽子は“正チャン帽”と呼ばれて大流行した。」
・「企画したのは編集長の鈴木だった。鈴木はジャーナリズムにおける漫画の価値を高く評価していた。ロンドンのタブロイド新聞〈デーリー・ミラー〉に載っていたペンギンを中心とした漫画が面白かったので、それにヒントを得て、ペンギンの代わりにリスを登場させ、正ちゃんという子供を加えて「正チャンの冒険」の原型を考え出したのだった。」
・「毎回の案は織田小星が担当した。」
・「関東大震災によって朝日新聞社の社屋は壊滅。その影響で〈アサヒグラフ〉は大正12年9月1日で廃刊を余儀なくされた。「正チャンの冒険」も連載が打ち切られる。が、同年10月20日の〈朝日新聞〉の朝刊に再登場する。タイトルが何度も変更され、時々休みながらも大正15年5月18日まで続いた。また、週刊誌として再刊された〈アサヒグラフ〉の大正13年3月12日号から8月27日号まで「水曜日の正ちゃん」として連載されている。」
なお、「正ちゃん帽」の絵については、資料①と同じ本の表紙が掲載されており、主人公の少年が丸い房のついた帽子をかぶっていることがわかる。
④『絵本論』の『正チャンの冒険』の章には、このお話が大正12年1月に創刊された日刊『アサヒグラフ』に掲載され、鈴木文史朗、織田信恒、樺島勝一が関わってつくられたことについて、資料②や資料③と同様の記載がある。しかし、資料②や資料③では、『アサヒグラフ』創刊号の日付は「1月25日」であるのに対し、この本では「1月15日」と記載されている。また、「樺島勝一」は、この本では「椛島勝一」と記載されている。
そのほか、下記のとおり、記載がある。(ただし、漢数字の引用は算用数字にあらためた。)
・「日刊「アサヒグラフ」は、しかしその年9月1日のいわゆる関東大震災の被害で消滅し、11月から週刊として独立するとともに、「正チャンの冒険」は本紙に連載されることとなって、以来、急激に人気を得た。「正チャン帽」は本紙登場のときにはじめてかぶせられた。日刊グラフ時代は制帽学童服で、いまだ生彩がなかった。」
・「絵は墨線にはじめて四角い吹出しを入れた4コマで、右側に2、3行のキャプションをつけて1日分。それが、2、3週間で1篇をなす。13年のなかばから3、4篇ずつまとめられて、大判横型厚紙、共表紙48ページの色刷り1冊本となり、大正14年10月までに7冊を出した。椛島の思い出には、本紙連載が昭和元年までつづき、椛島は大正14年中に社を辞してフリーになったとあるが、連載完結は、おって調べたい。ついでながら、つづく2年間に小星作の正チャンの本は2冊出ている。1冊は、朝日新聞社の大型縦本60ページの『正チャンの其後」(大正15年)で、リスのほかにドングリの小人ドンキチを加えた書きおろし絵であるが、もう1冊は、金尾文淵堂の『正チャンとリス』(大正15年)で、表紙や扉は椛島であるが、なかはほかの手(清水君吉)になったものだった。また海賊版まがいの偽作の大本、小本がかなり出たのは論外として、戦後の昭和26年に『正ちゃんのぼうけん』(2冊、講談社)がアンコールされている。これは中判縦型で、なかに書きかえや書きおろしもあるようだが、私は見ていない。』
なお、「正ちゃん帽」の絵については、資料①と同様の、主人公の少年が丸い房のついた帽子をかぶっていることがわかる。
⑤『子どもの本の百年史 』には、「7『少年倶楽部』の転換期と「正ちゃんの冒険」」の章の中で、『正ちゃんの冒険』の海賊版が多数出版されたことや、「正ちゃん帽」というのは今で言えば「スキー帽」であることについての記載がある。なお、「正ちゃん帽」の絵は掲載されていない。
⑥当館では、日刊『アサヒグラフ』創刊号(大正12年1月25日発行)<原紙>を所蔵しているので確認したところ、資料④に「「正チャン帽」は本紙登場のときにはじめてかぶせられた。日刊グラフ時代は制帽学童服で、いまだ生彩がなかった。」という記載があるとおり、正ちゃんは制帽をかぶっていて、「正チャン帽」はかぶっていなかった。
このほか、⑦『戦後日本の大衆文化史』にも、「戦後日本の漫画」の章の中で、「正ちゃんの冒険」の刊行について簡単な記載がある。