レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2019年4月13日
- 登録日時
- 2019/04/12 16:04
- 更新日時
- 2019/04/13 17:35
- 管理番号
- 161
- 質問
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解決
尼崎市内の地名で、「昭和」という元号を冠する「昭和通」という地名の由来を知りたい。
- 回答
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「昭和通」というのは、現尼崎市域の南部、国道2号線沿線の地名で、1丁目から9丁目まであります。また、その南には昭和南通3丁目~8丁目があります。昭和初期の町名改正以前は、旧尼崎城下の北側に位置する別所村や大物村に属していました。
これらの地が「昭和通」と命名されるきっかけとなったのが、阪神国道(現国道2号)の開通でした。自動車交通の増大にともない、大阪・神戸間を結ぶ東西幹線道路敷設の必要性が生じた結果、大正12年(1923)12月に着工し、昭和元年(1926)12月に開通しました。
この道路敷設にともない、国道沿線のうち尼崎市域の庄下川(しょうげがわ)から蓬川(よもかわ)にかけて、竹谷新田耕地整理(大正12~昭和3年)、西難波耕地整理(大正14~昭和8年)、尼崎市北部耕地整理(大正14~昭和10年)といった耕地整理事業(土地区画整理事業)が施行され、沿線住宅地や商業地が形成されました。
「昭和通」という地名は、こういった国道沿線の新たな市街地形成にともない、昭和5年1月1日の町名改正、昭和8年12月4日の西難波耕地整理終了、昭和10年6月19日の北部耕地整理終了により町名として付与されました。「昭和南通」も、昭和8年12月4日の西難波耕地整理終了と昭和10年6月19日の北部耕地整理終了により生まれた地名です。
なぜ「昭和通」「昭和南通」と命名したのか、理由を明記したものはありませんが、昭和の初めに開通した国道沿線の新市街地の地名ということで、「昭和」の名を冠したものと考えられます。
- 回答プロセス
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1 阪神国道(現国道2号)の敷設と沿線開発について記した文献・WEBサイト
◆『図説尼崎の歴史』下巻(尼崎市,2007)/Web版図説尼崎の歴史
近代編第3節8「地域の変化と人々の暮らし」(執筆者:井上眞理子/地域研究史料館)
http://www.archives.city.amagasaki.hyogo.jp/chronicles/visual/04kindai/kindai3-6.html
2 現尼崎市域の町名改正・住居表示の変遷を記録する文献
◆『尼崎の地名』(尼崎市,1985)
資料編3「区画整理・住居表示等に伴う町名改正の経過」
- 事前調査事項
- NDC
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- 近畿地方 (216)
- 日本 (291)
- 参考資料
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尼崎市立地域研究史料館/編集 , 尼崎市立地域研究史料館. 図説尼崎の歴史 : 尼崎市制九〇周年記念 下巻. 尼崎市, 2007.
http://iss.ndl.go.jp/books/R100000001-I005908615-00 (当館請求記号 219/A/ア) -
尼崎市立地域研究史料館. 尼崎の地名. 尼崎市立地域研究史料館, 1985.
http://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000001796791-00 (当館請求記号 290/A/ア)
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尼崎市立地域研究史料館/編集 , 尼崎市立地域研究史料館. 図説尼崎の歴史 : 尼崎市制九〇周年記念 下巻. 尼崎市, 2007.
- キーワード
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- 昭和通
- 昭和南通
- 阪神国道
- 国道2号
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 地名
- 質問者区分
- 社会人 団体
- 登録番号
- 1000254961