レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2013年05月23日
- 登録日時
- 2013/05/23 18:37
- 更新日時
- 2013/08/25 09:30
- 管理番号
- 035
- 質問
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解決
尼崎在住の漫画家・尼子騒兵衛氏によるテレビアニメ「忍たま乱太郎」には、尼崎の地名にちなんだ忍者たちが多く登場しているが、実際に江戸時代の尼崎には忍者がいたのか?
- 回答
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青山氏が尼崎藩主であった時代には、「忍頭(しのびがしら)」という藩士の役職がありました。また、藩主・青山幸利(よしとし)が「忍目付(しのびめつけ)」という役の者を摂津国内や周辺諸国に派遣していたという記録があります。尼崎藩領の所在地は摂津国の西部(現在の尼崎市域から神戸市域にかけて)にあたるので、忍目付が派遣された先としては播磨国(現兵庫県南西部)、河内国・和泉国(現大阪府域)、大和国(現奈良県域)、山城国(現京都府南部)などが考えられます。
松平氏が尼崎藩主であった時代には「隠密(おんみつ)」という役職があったことが、幕末期の史料により確認できます。ただし、その具体的な役割・性格は不明です。
- 回答プロセス
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1 尼崎藩家臣の役職名
◆『尼崎市史』第2巻第4節3「尼崎藩の支配機構」
尼崎藩主であった戸田氏・青山氏・松平氏の、それぞれの家臣の職制表を掲載している。
青山氏時代(寛永12・1635~宝永8・1711)の役職表(p302)に「忍頭」という役職がある。ただしこの「忍頭」の職務内容・人数・知行高などは不明である。
◆「江戸分限帳抜書」(尼崎市立地域研究史料館所蔵・内田繁氏文書、尼崎市立地域研究史料館紀要『地域史研究』第25巻第2号・第3号に翻刻)
松平氏時代のうち幕末期の藩士の身分などを記録したもの。「隠密」という役職についた藩士がいたこと、しばしば「近習」や「帳付」という役職との兼務であったことなどが記されている。
2 青山幸利の「忍目付」諸国派遣に関する記録
◆『尼崎市史』第5巻収録「青大録(せいだいろく)」
尼崎藩主・青山幸利(1616-1684)の言行録である「青大録」に、幸利が「忍目付」を摂津国内や近国に派遣していたことが記されている(p221 )
当該個所の現代語訳(抄):尼崎藩主の青山幸利公が尼崎城在城のとき、忍目付を摂津国または近国へ派遣していた。忍目付は歩行(かち)目付役の者が勤め、供目付役の者は勤めなかった。忍目付派遣の際は藩主の居間の縁に召し出され、藩主自らが命令を言い含めた。尼崎在城時は毎回近国に派遣し、さらに急な事態があったときは縁先に呼び出して命令が伝えられ、必要経費を潤沢に奉書紙に包んで直々に下げ渡され、これを頂戴した。その場合、どこへ行くにもその御庭から直接出向いたと、かつて忍びの目付を勤めた歩行目付の島長右衛門(当時七郎衛門の父であった)が、年老いてからたびたび話したという。。
(「歩行目付」は徒士(かち)など軽輩の武士や足軽の戦果・勤務を監察する役職、「供目付」は参勤交代をはじめ藩主の外出時の行列を管理・監督する役職)
- 事前調査事項
- NDC
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- 近畿地方 (216 9版)
- 参考資料
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- 『尼崎市史』第2巻 昭和43年発行 (当館請求記号 219/A/ア-2)
- 『尼崎市史』第5巻 昭和49年発行 (当館請求記号 219/A/ア-5)
- 尼崎市立地域研究史料館紀要『地域史研究』第25巻第2号・第3号(通巻74・75号) 平成8年2月・3月発行 (義根益美執筆史料紹介「幕末期尼崎藩「江戸分限帳抜書」(上・下)掲載)
- キーワード
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- 兵庫県尼崎市
- 尼崎藩
- 忍者
- 忍たま乱太郎
- 隠密
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 団体
- 登録番号
- 1000131634