レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2013年09月20日
- 登録日時
- 2013/09/20 19:49
- 更新日時
- 2013/09/20 19:59
- 管理番号
- 043
- 質問
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解決
昭和39年(1964)の東京オリンピック開催が、尼崎にどのような影響を及ぼしたのか知りたい。
- 回答
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東京オリンピック(昭和39年10月10日~24日開催)の聖火が、同年9月25日尼崎市を通過しました。市内の高校生・社会人スポーツ選手から聖火ランナーが選ばれ、国旗を持つ市民が沿道に並んで拍手で迎えるべく準備が進められましたが、当日は折悪しく台風となり、聖火は自動車で運ばれる結果となりました。
オリンピック閉会翌日の10月25日と26日には、市内記念公園市立体育会館(現ベイコム総合体育館の前身)において、国際親善柔道競技大会が開催されました。オリンピック柔道無差別級金メダリストのアントン・ヘーシンク(オランダ)をはじめ、12か国38人の外国選手と、同数の日本人選手(オリンピック代表に選ばれなかった強化合宿参加選手や近畿出身のベテラン選手)が対戦しました。この大会の準備として、体育会館をはじめとする記念公園の競技施設拡充整備工事が事前に実施されています。
また当時の新聞には、外国人が来訪するというので英会話教室に通う人が増えた、オリンピックと重ならないよう中学校の修学旅行を早めの時期にずらしたといったことが報道されています。
オリンピックに先立つ昭和36年には、武庫川河川敷のバラック住居群が、兵庫県の強制執行により撤去されました。これについても、東京オリンピックを意識したものであったということが指摘されています。
- 回答プロセス
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1 『市報あまがさき』
昭和39年中の発行号に、東京オリンピックの聖火通過準備、ランナー選抜、国際親善柔道競技大会の実施と、そのための事前準備工事などを報ずる記事が掲載されている。
2 新聞記事
聖火通過当日に台風となり自動車で尼崎市内を通過したことをはじめ、東京オリンピック前後の様子を、当時の新聞各紙の記事から知ることができる。
3 『図説尼崎の歴史』下巻/Web版『図説尼崎の歴史』
現代編第2節5「都市の変貌、市民生活の変化」(山崎隆三/地域研究史料館共同執筆)
武庫川河川敷バラック群撤去と東京オリンピックの関連性に言及している。
- 事前調査事項
- NDC
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- スポーツ.体育 (780 9版)
- 参考資料
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- 『市報あまがさき』 (逐次刊行物)
- 『図説尼崎の歴史』下巻 2007年 (当館請求記号 219/A/ア)
- キーワード
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- 東京オリンピック
- 尼崎市
- 柔道
- 照会先
- 寄与者
- 備考
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Web版『図説尼崎の歴史』
現代編第2節5「都市の変貌、市民生活の変化」(山崎隆三/地域研究史料館共同執筆)
http://www.archives.city.amagasaki.hyogo.jp/chronicles/visual/05gendai/gendai2-5.html
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 団体
- 登録番号
- 1000137413