三陸地方では、1896年(明治29年)6月と1933年(昭和8年)3月にも大規模な地震があり、その際にも津波によって大きな被害が出ています。外務省記録には、この二つの地震に関して、内務省から転送された各府県の被害状況報告や各国からの見舞・義捐金関係等の文書が残されています。
明治三陸地震について、外務省記録「変災及救済関係雑件 宮城青森岩手三県下海嘯ニ関スル件」には、ロンドン日本協会(会長:加藤高明駐英国公使)より、アーネスト・サトウ(Ernest Mason Satow)駐日英国公使を経由し、日本政府に義捐金が送付された際の記録が残っています。また、未分類外務省記録「宮城岩手青森三県海嘯罹災救恤金義捐者へ賞与一件」には、宮城県知事が外務省を通じて在外公館へ送付した義捐金寄贈者への褒賞状に関する文書が綴じられています。それによると、英国人やサンフランシスコ、朝鮮に居住する邦人からの義捐金が多かったようです。なお、明治三陸地震に関する外務省記録は上記2冊の他に、未分類外務省記録「岩手外二県下海嘯罹災者救助ノ為メ義捐金募集一件」が残されています。
その他、個人の記録としては、1896年6月18日に陸奥宗光が元外務大臣秘書官の中田敬義に宛てた書簡の中に、法事のため実家の盛岡に帰省中であった原敬(当時朝鮮国公使)の身を案じる文面があります。
昭和三陸地震については、満州国からも義捐金が送られた記録が残っています。満州国では、東北地方出身の兵士が「建国」の基礎に多大な貢献をしたとして、政府の議決を経て「満州国駐弁日本東北賑災委員会」を組織し、国を挙げて義捐金募集活動を行いました。これら昭和三陸地震に関連する史料は外務省記録「本邦変災並救護関係雑件 三陸地方震災関係」に収められています。
(注)海嘯=津波