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レファレンス事例詳細(Detail of reference example)

[転記用URL] https://crd.ndl.go.jp/reference/detail?page=ref_view&id=1000092053
提供館
(Library)
外務省外交史料館 (5000003)管理番号
(Control number)
2011-002
事例作成日
(Creation date)
登録日時
(Registration date)
2011年10月07日 02時03分更新日時
(Last update)
2011年10月07日 10時12分
質問
(Question)
1862年1月(文久元年12月)に徳川幕府がヨーロッパに派遣した使節団について教えてください。また、その関連史料はありますか。
回答
(Answer)
幕府の遣欧使節団は、1862年1月から翌年にかけて、当時日本と修好通商条約を結んでいたヨーロッパの6カ国(イギリス、フランス、オランダ、プロイセン、ロシア、ポルトガル)に派遣されました。派遣当時の年号にちなんで「文久遣欧使節団」とも呼ばれています。その主な目的は、上記各国との条約で定められた開港(兵庫・新潟)、開市(江戸・大坂)の実施延期や、ロシアとの樺太国境問題を交渉することでした。

 この使節団は、正使の竹内保徳以下、幕府の官吏36名(のち2名加わる)で構成され、その中には、後に明治の言論界をリードすることになる福沢諭吉や福地源一郎、後に外務卿となる寺島宗則(当時の名前は松木弘安)など、明治維新後の日本で活躍した人材もいました。

 1862年1月22日(文久元年12月23日)に品川から出航した一行は、香港・シンガポールを経てエジプトを通過し、3カ月弱で最初の訪問国フランスに到達しました。しかし、肝心の開港延期交渉がまとまらず、一行は交渉を留保したまま英国に移動しました。英国での開港延期交渉では、一時帰国中の駐日公使オールコック(Rutherford Alcock)が加わって日本側を弁護したこともあり、使節団は、英国政府との間で、新潟と兵庫の開港、江戸と大坂の開市を1863年1月1日から5カ年延期することを取り決めた「倫敦(ロンドン)覚書」に調印することができました。その後、使節団は他の締約国とも同様の覚書を取り交わし、1863年1月(文久2年12月)に帰朝しました。

 この使節団については、明治初期に外務省が編纂した幕末外交史料集『続通信全覧』の「類輯之部 修好門 竹内下野守・松平石見守・京極能登守使節一件 附録」に記録があります。また、外交史料館では、上記「倫敦覚書」のほか、一行がロシアのペテルブルクで撮影したといわれる写真や、オランダで活版印刷を用いて作成された一行の名簿など、関係史料の原本を所蔵しています。これらの史料は、外交史料館開館25周年を記念して1996年(平成8年)に開催された展示会「外交史料館所蔵物品資料展」や、2009年(平成21年)の特別展示「日英交流事始」で展示されました。

回答プロセス
(Answering process)
事前調査事項
(Preliminary research)
NDC 
参考資料
(Reference materials)
キーワード
(Keywords)
照会先
(Institution or person inquired for advice)
寄与者
(Contributor)
備考
(Notes)
調査種別
(Type of search)
内容種別
(Type of subject)
質問者区分
(Category of questioner)
登録番号
(Registration number)
1000092053解決/未解決
(Resolved / Unresolved)
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