レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2014年02月27日
- 登録日時
- 2014/02/27 10:09
- 更新日時
- 2014/02/27 14:05
- 管理番号
- 20140227-1
- 質問
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解決
源通親について知りたい。
- 回答
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日本大百科全書(ニッポニカ)
源通親
みなもとのみちちか
[1149―1202]
鎌倉初期の公卿(くぎょう)。源雅通(まさみち)の子。土御門(つちみかど)を称した。六波羅(ろくはら)時代に、平氏との間に婚姻を通じて政治家としての地歩を築き、また高倉(たかくら)天皇の近臣として重んぜられた。・・・
彼は和歌・文章に巧みで、『高倉院升遐記(しょうかき)』『高倉院御幸記』の和文の著があり、後鳥羽院の近臣源家長(いえなが)の『家長日記』にはとくに歌人として高く評価されている。
国史大辞典
源通親
みなもとのみちちか
一一四九 - 一二〇二
平安・鎌倉時代前期の宮廷政治家。正二位内大臣にまで進み、土御門あるいは久我(こが)内大臣と号す。村上源氏の流、内大臣雅通の長子として久安五年(一一四九)誕生。母は美福門院(ついで八条院?)女房、典薬助藤原行兼の女。・・・
建仁二年(一二〇二)十月二十一日急死。五十四歳。和歌・文章に優れ、勅撰集にも多首を遺す。著書に『高倉院厳島御幸記』『高倉院昇霞記(しょうかき)』がある。
[参考文献]
『大日本史料』四ノ七 建仁二年十月二十一日条、永原慶二編『鎌倉と京都』(『人物・日本の歴史』四)、『京都の歴史』二、竜粛「村上源氏の使命と通親の業績」(『鎌倉時代』下所収)、杉橋隆夫「鎌倉初期の公武関係」(『史林』五四ノ六)
土御門通親 【つちみかど・みちちか】 コトバンク
http://kotobank.jp/word/%E5%9C%9F%E5%BE%A1%E9%96%80%E9%80%9A%E8%A6%AA (2014/02/27確認)
デジタル大辞泉
つちみかど‐みちちか【土御門通親】
[1149~1202]鎌倉初期の廷臣。村上源氏の出。内大臣兼右近衛大将。源頼朝と手を結ぶ関白九条兼実(くじょうかねざね)を退け、外孫の土御門天皇を即位させ、権力を握って鎌倉幕府に対抗した。和歌もよくした。源通親。
朝日日本歴史人物事典
生年: 久安5(1149)
没年: 建仁2.10.21(1202.11.7)
平安末・鎌倉前期の宮廷政治家。位階は正二位に昇り,土御門(久我)内大臣と号す。村上源氏雅通の長男。母は美福門院(次いで八条院)女房,藤原行兼(長信)の娘。・・・
<著作>『高倉院厳島御幸記』『高倉院昇霞記』
<参考文献>竜粛『鎌倉時代』下,橋本義彦『源通親』
源通親 / 橋本義彦著 吉川弘文館 , 1992 (人物叢書 / 日本歴史学会編) 4642051961
中世日記紀行集. 1 / 福田秀一{ほか}校注 岩波書店 , 1990 (新日本古典文学大系 / 佐竹昭広 [ほか] 編 ; 51) 4002400514
高倉院厳島御幸記. 高倉院升遐記
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
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- 日本史 (210 9版)
- 系譜.家史.皇室 (288 9版)
- 個人伝記 (289 9版)
- 参考資料
- キーワード
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- 源通親 みなもとのみちちか 土御門通親
- 高倉院升遐記 高倉院昇霞記
- 高倉院厳島御幸記 高倉院御幸記
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 人物
- 質問者区分
- 登録番号
- 1000149912