レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2014年02月26日
- 登録日時
- 2014/02/26 17:40
- 更新日時
- 2014/02/27 10:19
- 管理番号
- 20140226-3
- 質問
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解決
藤原隆季について知りたい。
- 回答
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藤原隆季 【ふじわらのたかすえ】 コトバンク
http://kotobank.jp/word/%E8%97%A4%E5%8E%9F%E9%9A%86%E5%AD%A3 (2014/02/26確認)
朝日日本歴史人物事典
生年: 大治2(1127)
没年: 文治1.1.11(1185.2.12)
平安末期の公卿。中納言藤原家成と加賀守高階宗章の娘の子。四条・大宮と号す。善勝寺流藤原氏長者。鳥羽院別当,後白河院有力近臣。鳥羽院の有力近臣であった父家成の権勢を背景に,7歳で但馬守に任じられたのを皮切りに,讃岐,越後,土佐などの受領となり,その昇進ぶりは「あさましき事」との評を得るほどであった。保元3(1158)年公卿となり,永暦2(1161)年参議,以後,権中納言,中納言を経て,仁安3(1168)年権大納言となる。治承3(1179)年には,臣下として異例の大宰帥就任。・・・
世界大百科事典 第2版
ふじわらのたかすえ【藤原隆季】 1127‐85(大治2‐文治1)
平安末期の公卿。中納言家成の長男。鳥羽上皇の寵臣家成の庇護のもとに7歳で院判官代から六位蔵人に出身し,以後但馬,讃岐,越後,土佐の守を歴任し,長く左馬頭を兼ね,ついで左京大夫に移り,1158年(保元3)従三位に昇り,参議,中納言,検非違使別当などを経て正二位権大納言に至り,大宰帥を兼ねた。その間,鳥羽院別当として上皇に近習し,さらに後白河院中では執事別当となって院務を掌握し,高倉院の執事別当も兼ねた。
四条隆季 【しじょうたかすえ】 コトバンク
http://kotobank.jp/word/%E5%9B%9B%E6%9D%A1%E9%9A%86%E5%AD%A3 (2014/02/26確認)
デジタル版 日本人名大辞典+Plus
四条隆季 しじょう-たかすえ
1127-1185 平安時代後期の公卿(くぎょう)。
大治(だいじ)2年生まれ。藤原家成(いえなり)の長男。鳥羽(とば)上皇の重臣だった父の権勢を背景に参議,中納言をへて,権大納言,大宰帥(だざいのそち)となる。正二位。和歌にすぐれ,「久安六年御百首」を詠進したほか,「詞花和歌集」以下の勅撰(ちょくせん)集に11首のる。邸宅の所在地から四条,大宮を号とした。元暦(げんりゃく)2年1月11日死去。59歳。
国史大辞典
藤原隆季 ふじわらのたかすえ
一一二七 - 八五
平安時代後期の公卿。中納言藤原家成の長男。母は加賀守高階宗章の女。『公卿補任』記載の歳から逆算すると、大治二年(一一二七)の誕生となる。長承二年(一一三三)鳥羽院第一の寵臣家成の嫡男として七歳で従五位下に叙され、但馬・讃岐・越後・土佐の守を歴任、保元三年(一一五八)従三位に昇った。それより参議・中納言を経て正二位権大納言に進み、その間、左衛門督・中宮大夫などを兼ねる一方、後白河院・高倉院の執事別当に補されて院中の権を執り、また妹が平重盛に嫁した縁などによって平氏とも親交を結び、治承三年(一一七九)には、当時「親王任ずる所の官」(原漢文、『玉葉』)とされていた大宰帥に任ぜられて世人を驚かせた。・・・
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
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- 日本史 (210 9版)
- 系譜.家史.皇室 (288 9版)
- 個人伝記 (289 9版)
- 参考資料
- キーワード
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- 藤原隆季
- 四条隆季
- 高倉院
- 四条大納言
- 大宮大納言
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 人物
- 質問者区分
- 登録番号
- 1000149834