レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2012/02/03
- 登録日時
- 2017/05/31 00:30
- 更新日時
- 2017/05/31 00:30
- 管理番号
- 20120203
- 質問
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解決
現、立科町に宇山堰という用水のようなものがある。
建設の時代背景と小諸藩との関りを知りたい。
立科町は小諸藩の領土だったのか?
- 回答
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建設の時代背景は以下の資料に掲載あり。
◆参考資料1 「立科町誌 歴史編 上」(立科町誌編纂委員会,立科町誌刊行会,1997)
・P421 宇山の開発
「宇山は、湧水と沢水、溜池を利用して開発が進められ、芦田村の枝村として発達した。宇山は慶安年中に芦田村の土屋荘蔵と宇山の遠山長作が、蓼科山腹の樅ノ木から宇山古堰を開き、さらに黒沢嘉兵衛が、寛文二年(1662)に 八重原堰の上堰とし宇山堰を開いてから急速に開発が進み、寛文4年(1664)に母村から独立して新しい村が作られた」とある。
小諸藩との関わりは以下の資料に掲載あり。
◆参考資料1 「立科町誌 歴史編 上」(立科町誌編纂委員会,立科町誌刊行会,1997)
・P442 第2節 宇山の開発と水 P448 二 宇山堰と八重原堰
「青山因幡守(小諸領主青山因幡守宗俊)の命によって、直ちに新堰の開削に着手し、寛文2年に完成したのが宇山堰と八重原堰である。」とある。
・P453 御上の堰
P454「八重原堰と宇山堰は、小諸藩の藩権力を背景に開削され、塩沢堰とは比較にならないほど厚い保護を受け、堰普請の用材もすべて藩から供与され、堰普請の人足も領内一円から徴用されていたのである」とある。
以下の資料を確認すると、立科町は小諸藩の領土であったことがわかる。
◆参考資料1 「立科町誌 歴史編 上」(立科町誌編纂委員会,立科町誌刊行会,1997)
・P322 第四編 第二章 藩政と農民のくらし 第二節 芦田八ヶ村の成立 二 芦田村八ヶ村と芦田八ヶ村
「立科の郷村は、これまでみてきた江戸時代初期には、芦田・茂田井・山部・藤沢・細谷の六ヶ村である。芦田八ヶ村は、この六ヶ村に宇山・牛鹿二ヶ村が加わった呼び方である。」
・P296 第四編 第一章 小諸藩の政治 第一節 小諸藩歴代の藩主 一 牧野氏以前
P297 仙石秀久と中山道整備
「これ以降(天正19年 仙石権兵衛秀久が小諸に入城)近現代への夜明けを迎える版籍奉還までの二八〇年間、芦田八ヶ村は一貫して小諸藩領となり、小諸藩の支配下におかれたのである。」と記載されている。
その他、以下の資料にも宇山堰について記載あり。
◆参考資料2 「蓼科の水」(小林幹男/著,立科町,立科土地改良区,1976)
・P79 Ⅳ宇山堰と八丁地堰 1.宇山の開発と用水 及び 巻末年表
宇山堰と小諸藩についての記述あり。
◆参考資料3 「黒澤嘉兵衛物語」(黒澤夢都子/著,黒澤嘉兵衛物語刊行委員会,2016)
・P148 第四章 第三弾 返り咲き八重原堰・宇山堰へ
黒澤家の所蔵する『開発日記 書抜』及び『清長日記』等の古文書を読み解き、発行された資料で、宇山堰建設の経緯や方法が物語形式で掲載されている。
◆参考資料4 「立科町誌 歴史年表」(立科町誌編纂委員会,立科町誌刊行会,1997)
・P108-109 1650年(慶安3年)に「宇山古堰が完成する」と記載されており、「宇山古堰に関する同時代の史料は、現存していないが、宇山区所有の古文書には、承応2年(1653)にこの用水堰を宇山堰と称し、万治3年(1660)に黒沢嘉兵衛が開いた2筋の堰の水を、この用水路に注入していた」と記載されている。
・P111-112 1662年(寛文2年)に「宇山堰の用水堰を完成する」と記載されており、宇山堰の仕組みについても記載されている。
◆参考資料5 「立科町誌 自然編」(立科町誌編纂委員会,立科町誌刊行会,1997)
・P158 第四章 第二節 用水 (2)宇山堰
宇山堰の仕組みが記載されている。
◆参考資料6 「小諸市誌 歴史篇3近世史」(小諸市誌編纂委員会,小諸市教育委員会,1991)P247 第二章 第三節 農村の開発 二 用水・新田の開発
宇山堰についての詳細な記載はないが、佐久の四新田の用水地図に宇山堰の記載がある。
- 回答プロセス
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1.参考資料1「立科町誌 歴史編 上」を確認。
2.「立科」「水」で検索したところ、参考資料2「蓼科の水」がヒットした。
3.参考資料1「立科町誌 歴史編 上」P448 <二 宇山堰と八重原堰―黒澤嘉兵衛>に「嘉兵衛は、(中略)その後、領主青山因幡守の命によって、直ちに新堰の開削に着手し、寛文二年に完成したのが、宇山堰と八重原堰である。」と記述があったため、「黒澤嘉兵衛」で検索したところ、参考資料3「黒澤嘉兵衛物語」がヒットした。
4.立科町誌の他巻に掲載がないか確認したところ、参考資料4「立科町誌 歴史年表」、参考資料5「立科町誌 自然編」に記載が見つかった。
5.立科町は小諸藩の領土であったことから参考資料6の「小諸市誌 歴史篇3近世史」を確認したところ、佐久四新田の用水地図に宇山堰の記載がみつかった。
- 事前調査事項
- NDC
- 参考資料
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- B10116845 立科町誌 歴史編上 立科町誌編纂委員会/編集 立科町誌刊行会 1997.3 291.52
- B10099901 蓼科の水 小林幹男/著 立科土地改良区 1976 614.3152
- B10239655 黒澤嘉兵衛物語 黒澤夢都子/著 黒澤嘉兵衛物語刊行委員会 2016.11 289.1
- B10116847 立科町誌 歴史年表 立科町誌編纂委員会/編集 立科町誌刊行会 1997.3 291.52
- B10116703 立科町誌 自然編 立科町誌編纂委員会/編集 立科町誌刊行会 1995.10 291.52
- B10116331 小諸市誌 歴史篇3近世史 小諸市誌編纂委員会/編纂 小諸市教育委員会 1991.12 215.2
- キーワード
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- 宇山堰
- 立科町
- 水
- 小諸藩
- 黒澤嘉兵衛
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事項調査
- 内容種別
- 地域
- 質問者区分
- 一般
- 登録番号
- 1000216688