レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2010/09/06
- 登録日時
- 2014/10/02 00:30
- 更新日時
- 2014/11/09 11:25
- 管理番号
- 6000000442
- 質問
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未解決
石橋麻田町は、豊中市だが池田市域に囲まれている、いわゆる「飛地」だが、なぜ飛地になったか理由がわかる本はあるか。
- 回答
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『日本列島飛び地の謎 地図に秘められた意外な歴史!』に、飛び地になった理由として麻田藩・麻田村にまつわる説が挙げられているが、断定はしていない。
麻田藩については下記にも事例があり。
https://crd.ndl.go.jp/reference/detail?page=ref_view&id=1000117805
https://crd.ndl.go.jp/reference/detail?page=ref_view&id=1000117812
https://crd.ndl.go.jp/reference/detail?page=ref_view&id=1000117804
- 回答プロセス
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郷土資料の書架、日本地理(291)の書架を調べ、飛び地に関する本などの内容を確認する。
『日本列島飛び地の謎 地図に秘められた意外な歴史!』(廣済堂出版)p168-170「ゴミ収集は1ヶ月遅れ、水道代は2倍。あまりの仕打ちに住民の怒り爆発!」に、石橋麻田町についての記載があり。面積2.6haで、東は箕面市、北・南・西は池田市に面しており、飛び地になった理由は「江戸時代に麻田藩主の菩提寺があったため」「麻田村の出作地だったため」の2説があるとのこと。なおタイトルは昭和30年代の「麻田飛び地問題協議会」結成に関わるエピソードについてのもの。
『日本歴史地名大系28 大阪府の地名1』(平凡社)p323「玉坂村」によると、石橋麻田町はかつて玉坂村に属し、元和年間(1615-24)以降麻田藩領であったとのこと。麻田藩主の菩提寺については記載なし。
『摂津麻田陣屋』(日本古城友の会)p25「麻田藩主菩提寺」によると、麻田藩主青木家の菩提寺は麻田仏日寺(現池田市畑)、高平方広寺(現兵庫県三田市末吉)、江戸瑞聖寺(現東京都港区白金台)の3箇所とのこと。仏日寺(ぶつにちじ)についての簡単な説明はあるが、石橋麻田町と関連があるかどうかは不明。
なお『大阪府の歴史散歩 上 大阪市・豊能・三島』(山川出版社)p166-167「仏日寺」によると、寛永7(1630)年に麻田藩2代藩主青木重兼が現在の蛍池東町に建立した寺院が承応3(1654)年に現在の位置(池田市畑1丁目)に移転したとのこと。
- 事前調査事項
- NDC
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- 日本 (291 9版)
- 参考資料
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- 『日本列島飛び地の謎』浅井 建爾/著(廣済堂あかつき株式会社出版事業部)
- 『日本歴史地名大系28‐[1]』(平凡社)
- 『摂津麻田陣屋』上田 一/著(日本古城友の会)
- 『大阪府の歴史散歩 上』大阪府の歴史散歩編集委員会/編(山川出版社)
- キーワード
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- 地理(チリ)
- 石橋麻田町(イシバシ アサダチョウ)
- 飛び地(トビチ)
- 豊中(トヨナカ)
- 歴史(レキシ)
- 仏日寺(ブツニチジ)
- 麻田藩(アサダハン)
- 江戸(エド)
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 一般
- 登録番号
- 1000160456