レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2014/05/18
- 登録日時
- 2015/07/13 00:30
- 更新日時
- 2015/07/14 10:43
- 管理番号
- 所沢本-2015-011
- 質問
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解決
所沢の坂について調べたい。
- 回答
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『所沢市史研究 第5号』 (所沢市史編纂室 1981年)に、「所沢の坂」についての記述があり、「琴平坂」、「峰の坂」、「寺坂」、「曽根の坂」、「菊川坂」、「じゅうにん坂」、「天王坂」、「どんどこ坂」、「七曲り坂」の写真があります。
「じゅうにん坂」については、『吾妻の石仏 』 (青山弘子[ほか]/編 松井公民館石佛学習会 1993年)、『わたしたちのあづま』(所沢市立南小学校 2004年)にも記述があります。
また、“坂”とつく古い地名に、「峯ノ坂(みねのさか)」、「立中坂(たっちゅうざか)」、「小太郎坂(こたろうざか)」があり、『所沢市史 地誌』 (所沢市 1980年)や『所沢の歴史と地理』 (内野弘/著 山陽印刷 1985年)に記述があります。
所沢図書館ホームページに、「所沢の足跡ー地誌編 ところざわの坂」として、「じゅうにん坂(久米)」、「峰の坂(宮本町)」、「曽根の坂(北有楽町)」、「琴平坂(有楽町)」、「七曲り坂(城)」、「どんどこ坂(北秋津)」の説明と地図があります。
- 回答プロセス
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1.所蔵資料の内容確認
〇『所沢市史研究 第5号』 所沢市史編集委員/編 所沢 所沢市史編纂室 1981年
口絵に、「所沢の坂」あり。「琴平坂」、「峰の坂」、「寺坂」、「曽根の坂」、「菊川坂」、「じゅうにん坂」、「天王坂」、「どんどこ坂」、「七曲り坂」の写真あり。
〇『吾妻の石仏 』 青山弘子[ほか]/編 松井公民館石佛学習会 1993年
p28 「十人坂地蔵群」に、「坂上り口左手に地蔵尊十体がならんでいる。その昔、四国巡礼の折、疫病に罹り亡くなった十人を祀ったとの言い伝えもある。」 と記述あり。
〇『わたしたちのあづま』 所沢市立南小学校 2004年
p48 「じゅうにん坂」の伝説あり。「昔、戦に負けてにげてきた十人の武士がここで割腹をしたところ」、「伊勢神宮におまいりに行って帰る途中の十人がここで病気をした」、「この坂を荷車で登るのに十人の力がいるから」などといわれている記述あり。
△『所沢の歴史と地理』 内野弘/著 山陽印刷 1985年
坂の名前は記載がないが、地名で坂がつくものは以下のとおり。
p192 「大字所沢」に、「峯ノ坂(みねのさか)」の地名あり。「この坂は昭和七年改修されて緩い傾斜となった。その東側の地域。河原宿から見て、北方の高台は峯のように見えたものであろう。」と記述あり。
p223 「大字上山口」に、「立中坂(たっちゅうざか)」の地名あり。「旧川辺村から大字北野へ出る坂の東側~」の記述あり。
p226 「大字上山口」に、「小太郎坂(こたろうざか)」の地名あり。「根古屋城跡の東で北東へ登る坂。昔、里見小太郎と云人住せし所なるゆえに此唱へありと(新記)」と記述あり。
△『所沢市史 地誌』 所沢市史編纂委員会/編 所沢市 1980年
『所沢の歴史と地理』 と同じ記述あり。
2.掲載のなかった資料は以下のとおり
×『所沢市史 民俗』 所沢市史編さん委員会/編 所沢市 1989年
×『所沢市史 上』 所沢市史編さん委員会/編 所沢市 1991年
×『ところざわ歴史物語』 所沢市教育委員会/編 所沢市教育委員会 2006年
3.インターネット検索
〇所沢図書館ホームページに、「所沢の足跡ー地誌編 ところざわの坂」 の掲載あり、「じゅうにん坂(久米)」、「峰の坂(宮本町)」、「曽根の坂(北有楽町)」、「琴平坂(有楽町)」、「七曲り坂(城)」、「どんどこ坂(北秋津)」の説明と地図あり。
- 事前調査事項
- NDC
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- 関東地方 (213 9版)
- 日本 (291 9版)
- 参考資料
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- 所沢市史研究 第5号 所沢市史編集委員/編 所沢 所沢市史編纂室 1981 213.4
- 吾妻の石仏 青山弘子[ほか]/編 松井公民館石佛学習会 1993 718.4
- わたしたちのあづま 所沢市立南小学校(旧吾妻小学校)130周年記念事業実行委員会 編 所沢市立南小学校 2004 291.34
- 所沢図書館 https://lib.city.tokorozawa.saitama.jp/history/history_saka.html 2014/05/18 (「所沢の足跡ー地誌編 ところざわの坂」)
- キーワード
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- 坂
- 所沢
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 一般
- 登録番号
- 1000177129