レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2018年05月25
- 登録日時
- 2019/01/21 11:38
- 更新日時
- 2020/03/22 11:53
- 管理番号
- 長野市立長野-18-012
- 質問
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解決
須坂藩の藩主は奥田から堀に変わったようだが、確認できる資料はあるか。
- 回答
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参考資料に挙げた①~⑥で藩主の変遷が確認できた。
藩祖の堀直重の父直政が奥田姓だったが、堀姓へ改姓。以後、堀直重を初代とし、一系統で須坂領13か村を治めた。廃藩置県により須坂藩が消滅後、直明が奥田姓へ復姓した。
【須坂藩藩主変遷】
奥田直政(後に堀直政)-堀直重(初代)-直升-直輝-直佑-直英-直寛-直堅-直郷-直皓-直興-直格-直武-直虎-直明(後に奥田直明)
- 回答プロセス
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まず須坂藩の改姓について調べる。
当館検索システム フリーワード「須坂藩」で検索。①⑥がヒット。次に「藩史」で検索。②がヒット。更に「藩 事典」で検索。③④⑤はヒット。
各資料に回答があるか確認する。
①には「須坂藩堀家は奥田直政(後に堀直政)の四男堀直重を初代に、江戸初期から明治維新まで250余年、転封・改易なく一系統で須坂領13か村を治めた。堀直重の父奥田直政は、尾張奥田庄の土豪の家に生まれ、従兄弟の堀秀政の家臣として織田信長、豊臣秀吉に仕えた。堀秀政が豊臣秀吉の片腕として活躍し、越前北ノ庄城を与えられた際、直政は秀政を補佐した忠節により堀の姓を与えられ、以後堀直政と称した。」また「明治10年、同族の旧椎谷藩堀之美、旧村松藩堀直弘とともに旧姓の奥田姓へ復姓し、以後奥田直明と称した」とある。
②③⑤⑥でも、同内容の記述が確認できたが、④では藩主の変遷のみ。
各資料を提示し、回答とした。
- 事前調査事項
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長野県史や市町村史はわかりにくかったので、簡潔にまとめられている資料が見たい。
- NDC
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- 日本史 (210)
- 日本 (281)
- 系譜.家史.皇室 (288)
- 参考資料
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- ①『須坂藩堀家14代』須坂市立博物館/編 須坂市立博物館 2017.09 <N209.5 ス> (「Ⅰ須坂藩堀家 礎の三代」p8「14代堀直明」p57、「藩主系図」p70)
- ②『藩史大事典 第3巻』木村 礎/〔ほか〕編 雄山閣出版 1989.07 <210.5 ハ 3> , ISBN 4-639-00888-0 (「藩主の概要」p366、「藩の系図」p367、「藩主一覧」p368-370)
- ③『江戸幕藩大名家事典 上巻』小川 恭一/編著 原書房 1992.02 <R281 オ 1> , ISBN 4-562-02281-7 (須坂 p316-p317)
- ④『三百藩家臣人名事典 3』家臣人名事典編纂委員会/編 新人物往来社 1988.04 <R281 サ 3> , ISBN 4-404-01503-8 (「須坂藩」p362)
- ⑤『近世藩制・藩校大事典』大石 学/編 吉川弘文館 2006.03 <R210.5キ> , ISBN 4-642-01431-4 (須坂藩 p523-p524)
- ⑥『須坂藩主 奥田家の歴史』廣瀬 紀子/著 須坂市公民館(須坂万葉読書会) 2004.04 <N288 ヒ> (口絵「堀 秀政・堀 直政系譜」p30-31、「はじめに」p9、七「現代 奥田家の系譜」p61、「須坂藩主 堀家代々」p163)
- キーワード
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- 須坂藩
- 藩史
- 藩 事典
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 登録番号
- 1000250450