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レファレンス事例詳細(Detail of reference example)

提供館
(Library)
長野市立長野図書館 (2310222)管理番号
(Control number)
長野市立長野-14-044
事例作成日
(Creation date)
2015年1月26日登録日時
(Registration date)
2015年02月05日 16時22分更新日時
(Last update)
2015年10月16日 17時33分
質問
(Question)
現在の長野市若槻の由来である若槻庄についての資料、または信濃全体の荘園の歴史が分かる資料があるか。若槻庄の場合、若槻氏が来る前の事が分かるものがあれば見たい。
回答
(Answer)
事前に『若槻史』は見ているというのでそれ以外の資料を探し、参考資料等を確認いただいた。
若槻庄は『吾妻鑑』文治二年三月十二日の水内郡荘園の記録、信濃荘園の歴史は定かではないものが多く、概存の公許な資料としては『日本後紀』延暦十八年十月の項が信濃における荘園の最初だと思われる。
回答プロセス
(Answering process)
館内OPACにてキーワード「若槻」で検索、出てきた『若槻史』『若槻村誌』を見て頂くとすでに閲覧済み、とのことで他の資料をあたる。

『若槻史』には若槻庄のおこりについてp89に、「若槻の名が、はじめて、歴史の上に登場してくるのは、鎌倉幕府の日誌『吾妻鑑』文治二年三月十二日であった。」とある。この事から、平安時代後期には若槻の名が存在していたとされる。
若槻氏についてp99より、「はじめ、伊豆の国、森庄に住んで、若槻庄を与えられた八幡太郎義家の七男、源義隆は、森冠者陸奥七郎(或は六郎)と号していたが、その子頼隆の代になると、若槻氏を名乗り、この地に移り住んできた。源氏のわかれの若槻姓が、このときから始まったのである。」とある。
この若槻氏が信濃に参入して定住する前の信濃荘園の歴史も把握したいとの事を受け、信濃荘園の歴史の資料も併せ探す事にした。

同ページに若槻氏の系図は『尊卑分脈』によるものであるとあったので、『国史大系 60上』(ここに尊卑分脈が載っている)p307~p309を確認する。系図の他少し説明文があるが、若槻氏部分については系図以上に分かることはなし。
館内OPACにて、キーワード「信濃」「荘園」で入れると、『建武中興を中心としたる信濃勤王史攷』が出てきたのでこちらを確認する。信濃荘園の歴史や若槻庄についても記載があり。
『角川日本地名大辞典 20』より、若槻庄に「真弓田郷・山田郷・上徳間郷・下徳間郷・稲住郷上下・河原田郷・田子郷があり、これに若槻庄の本郷であったと思われる東条と西条を加えたものが荘域という。」とあった事と、長野県市町村誌目次情報データベース( http://misuzu-mokuji.net/  <最終確認日:2015年1月26日>)から、田子誌と飯山市誌・飯山町誌がヒットした事から、『田子誌』・『飯山市誌 歴史篇』『飯山町誌』を探す。若槻庄よりは若槻氏が栄えた時期に有ったという若槻新庄についての記述が大方だったが、それでも若槻本庄(若槻庄)の歴史ともに少量の記載あり。

見てきた中で『信濃荘園の歴史』が一番載っているらしいと踏んで館内OPACで検索、長野市立南部図書館に『稿本 信濃荘園の歴史』の所蔵がある事を確認、閲覧したところ歴史等の記載あり。序説にて、「信濃における荘園は、何時頃あたりから起つたかは勿論分明しないが、聖武天皇が天平勝寳二年、皇后とともに東大寺に幸し、食封五千戸、奴婢二百口を寄進された。(その時信濃と下野が各二百五十戸とある)<中略>次に信濃における荘園の公許された最初はどうしても、日本後紀に出ている「延暦十八年十月、信濃知百町、賜左大辦正四位下、菅野朝臣眞道」であらうと思ふ」とある。
信濃の荘園としての記録はこのあたりのものではないかと推測される。
若槻荘園についてはp118に記載あり、以上をもってご案内とした。

【追記:2015年10月16日】
国立国会図書館レファレンス協同データベース事業サポーター 寺尾様よりコメントをいただき、
下記のようなデータベースがあるとご教授いただきました。

国立歴史民俗博物館(れきはく)  http://www.rekihaku.ac.jp/

データベースれきはく
https://www.rekihaku.ac.jp/doc/t-db-index.html

日本荘園データベース
https://www.rekihaku.ac.jp/up-cgi/login.pl?p=param/soue/db_param

荘園関係文献目録データベース
https://www.rekihaku.ac.jp/up-cgi/login.pl?p=param/ronb/db_param
事前調査事項
(Preliminary research)
『若槻史』は既に見ている。若槻氏が信濃若槻に移り、若槻と呼ばれるようになった亊から信濃源氏の繁栄から滅亡までの過程は概知である。
NDC
中部地方  (215)
参考資料
(Reference materials)
『若槻史』 長野:若槻史刊行会 1982.2 <N213ワ> (p86 若槻庄の起こり)
『建武中興を中心としたる信濃勤王史攷』 下巻 信濃教育会/著 1978.7  <N209.4>
『飯山町誌 復刻版』 飯山公民館/編 1976.2 <N211イ> (p75 若槻新庄と静間郷 若槻庄について少し触れた箇所あり)
『田子誌』 田子誌刊行会/編集 1997.3 <N213タ>
『長野市誌 第8巻』 長野市誌編さん委員会/編集 2000.01 <N213 ナ 8> (p585 若槻 三・郷と荘園)
『飯山市誌 歴史編 上』 飯山市誌編纂専門委員会/編 1993 <N 211イ>
『長野県上水内郡誌 歴史篇』 上水内郡誌編集会/編 1976 <N212カ> (p299.230 若槻庄について)
『長野県史 通史編 第2巻』 長野県/編集 1986 <N209 ナ 2> (p320 若槻庄 p266 公領・荘園について)
『日本歴史地名大系 20』 平凡社 1979.11 <R291.03 ニ 20> (p794)
『角川日本地名大辞典 20』 「角川日本地名大辞典」編纂委員会/編 1990.07 <N293カ>
『新編 信濃史料叢書 第一巻』 信濃史料刊行会/編 1970 <N208シ> (p72 信濃地名考 下 尾張部)
『国史大系 第60巻上』 黒板 勝美/編輯 2001.03 <210.08 コ 60-1> (p307 頼隆 (清和源氏 若槻))
『長野市誌 第二巻』 長野市誌編さん委員会/編集 2001.01 <N213 ナ 2> (p478(信濃における源氏と平氏)p481・p640は若槻氏についての項)
キーワード
(Keywords)
長野市 若槻 若槻庄 荘園
若槻氏 信濃荘園
照会先
(Institution or person inquired for advice)
寄与者
(Contributor)
備考
(Notes)
調査種別
(Type of search)
文献紹介 文献紹介 文献紹介
内容種別
(Type of subject)
郷土
質問者区分
(Category of questioner)
登録番号
(Registration number)
1000167301解決/未解決
(Resolved / Unresolved)
解決
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