レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2012年06月01日
- 登録日時
- 2012/09/27 15:26
- 更新日時
- 2012/09/27 15:26
- 管理番号
- 市川20120601-03
- 質問
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解決
家にある古い手鏡(柄つき)がどういったものか知りたい。金属製で鶴、船、松の絵があり、「中原摂津守藤原光重」の銘がある。
- 回答
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中央所蔵の鏡についての本を確認する。
『和鏡の文化史』(刀水書房 1992)p287に質問者と同一文様のものの写真が掲載されているが、作者銘は異なる。『日本人と鏡』(同朋舎出版 1991)によると、このような柄鏡の多くには鋳造工匠名が鋳出されているが、これが作者名であるか、製造工房の名前であるかははっきりせず論争中とのこと。また、粘土の型を使って製作するため、鋳造工匠名は最初にあった製造業者名を消して次の製造者名を書き込むため、ほぼ同文様の鏡が大量生産されたとある。
国会図書館「レファレンス協同データベース」に「古鏡の銘にある藤原光永とはだれか」など同様の事例が数件ある。この回答によると『日本鋳工史 第1 冊』(香取秀真/著 郷土研究社1934)の中に「鏡師名寄」があり、その中の京都の部に藤原光永の名が載っているとのこと。この本は国会図書館のデジタル資料となっているが、国会図書館の館内でのみ閲覧できる。同じ著者の『日本鋳工史稿1』(甲寅叢書刊行所 1914)を県立中央(貸出不可)が所蔵しているので、この中に藤原光重の名があるか確認を依頼した。その結果「鏡師名寄」もこの人物の名前もなかったとのこと。しかし、県立中央で所蔵している『鋳物師の話』(香取秀真/著 大日本雄弁会講談社 1947)の中の「鏡師名寄」には、「中原摂津守藤原光重 後期」と記載されていた。後期とは、同書の前期・中期・後期の時代区分についての解説より、元文(1736)頃~明治初年(1868)と推測できるとの回答があった。
さらに、県立西部より借用した『和鏡の研究』(広瀬都ト巽ソン/著 角川書店 1978)の中の「鏡師銘記集」にも「中原摂津守藤原光重 後記」とあるので、質問者の鏡はこの時代のものと思われる。
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
-
- 金工芸 (756)
- 参考資料
- キーワード
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 質問者区分
- 登録番号
- 1000111877