レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2017年12月28日
- 登録日時
- 2017/12/28 16:02
- 更新日時
- 2017/12/30 13:23
- 管理番号
- いわき総合-地域529
- 質問
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戊辰戦争の大熊町での「熊川の戦い」の史料を探しています。『大熊町史』に何かしらの史料が載っていますか。
- 回答
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『大熊町史 第1巻』には、大熊での戦争と題して、「熊駅は、相馬藩の南境にあり、浜街道の重要拠点でもあったので、将兵が駐屯し大砲も配備されていた。七月十七日相馬藩の三隊長会、七月二十七日には各藩の隊長の軍議が開かれている。七月二十八日東軍手岡原に敗れると、仙台兵は熊駅に火を放って中村方面に退却した。焼け残ったのは太田家の土蔵一軒のみだったと伝えられる。」と記されている。
『相馬市史 6』に「二十八日には熊町が敗れ、諸隊は浪江まで退いた。」翌七月二十九日の野上での戦いについては、「戊辰戦役の中では誠に小さい戦争である」としながらも、「相馬藩記録」の数行の記述を参照し、この史料のみと述べている。二十九日の野上の戦いについては、「筑州藩届書」(福岡)「芸州藩届書」(広島)「芸州藩高間省碑文の一節」を参照した戦況の記述がある。
また『戊辰私記』(味岡禮質∥編 明治36年)には、七月二十八日「熊川駅ノ防護ニシテ払暁ヨリ相対峙スルモ終二敵ヲ支ヘスシテ退却セリト…」とある。他に『磐城三藩明治戊辰戦争余聞』(齋藤笹舟∥著・発行 昭和15年)には、「二十八日熊駅に於いて數合の戦闘であったが、ここに於いても敗れ、則夜平藩の人數は小高に向かて発し、味岡重左エ門、小隊をもって幾世橋村を守備した。」と書いてある。
『仙台市史 通史編6 近代1』のp18から、「奥羽越列藩同盟」について、p28から「奥羽越公議府」について時系列で記されているが、7月28日の記録はなく、掲載されている「奥羽越における戊辰戦争の動向図」にも、7/26広野近辺に〔×〕と戦闘地の印が付けられているが、これ以外に相馬中村藩内に印はなく、史料が残されていない小さな戦争は外したためであろう。
熊川の戦いに関する史料が残されていないため、詳細は不明である。
- 回答プロセス
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『大熊町史』にあたったが、数行の記述しかなかった。戊辰戦争に絡む諸藩の通史に範囲を広げて調べたが、熊川の戦いに言及した文言は見当たらなかった。
- 事前調査事項
- NDC
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- 東北地方 (212)
- 参考資料
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大熊町 (福島県) , 大熊町史編纂委員会 編. 大熊町史 第1巻 (通史). 大熊町, 1985.
http://iss.ndl.go.jp/books/R100000039-I002590778-00 -
味岡礼質 編 , 味岡, 礼質, -1912. 戊辰私記. 関内米三郎, 1903.
http://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000000431573-00 -
斎藤笹舟 著 , 斎藤, 笹舟. 磐城三藩明治戊辰戦争余聞. 東海岸郷土史蹟研究会, 1940.
http://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000000666316-00 -
相馬市史編纂会 編 , 相馬市史編纂会. 相馬市史 6. 相馬市, 1976.
http://iss.ndl.go.jp/books/R100000001-I078179111-00
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大熊町 (福島県) , 大熊町史編纂委員会 編. 大熊町史 第1巻 (通史). 大熊町, 1985.
- キーワード
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- 戊辰戦争 大熊町
- 戊辰戦争 磐城平藩
- 戊辰戦争 相馬中村藩
- 戊辰戦争 仙台藩
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 書誌的事項調査
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000227848