レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 20201201
- 登録日時
- 2021/03/20 00:30
- 更新日時
- 2021/03/24 16:21
- 管理番号
- 400000211
- 質問
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解決
茨木市にある「おさん・茂平」の碑について知りたい。
- 回答
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『新修茨木市史 第10巻 別編民俗』(茨木市史編さん委員会/編 茨木市 2005)P476
山手台にある茨木サニータウンに「おさん・茂平恋道中碑」があるとの記載あり。
P455に茨木サニータウンの簡易な地図もあり。
『わがまち茨木 民話・伝説編 第三版』(茨木市・茨木市教育委員会/編 茨木市・茨木市教育委員会 2004)P20-21
茨木に残る民話・伝説のひとつとして「おさん・茂平」の物語の記載があり、国見峠で心中したと伝えられているため、その供養として石碑が建てられたとある。(記述者 吉見司三)
『心のふるさと茨木 茨木の史跡と文化財』(久保義明/著 2006)P150-153
茨木に残る民話の一つとして「おさん・茂平の悲恋物語」があり、その供養塔を兼ねた道しるべが建てられたが、設立年代、設立者は不明。サニータウン造成工事のため、碑を中央公園に移設し、「おさん・茂平恋道中」の説明板を建てている旨記載あり。
また、この民話の背景には、浄瑠璃・歌舞伎の作者近松門左衛門の「曾根崎心中」などが大衆に受け入れられていたことがあると記されている。
『近松名作事典』(藤野義雄/著 桜楓社 1988)P253-269
天和3年(1683)に実際に起きた大経師意俊の妻さんと手代茂兵衛の姦通事件を元に、元禄初年歌舞伎「大経師」、貞享3年(1686)井原西鶴の「好色五人女」の巻三「暦屋おさん物語」が作られている。近松は、事件終結後、三十三回忌に当たる正徳5年(1715)に、先行作を踏まえながらも、新しい構想を加えて浄瑠璃「大経師昔暦(だいきょうじむかしごよみ)」をまとめ、竹本座で初演された。
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
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- 日本 (291 9版)
- 参考資料
- キーワード
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- 石碑
- 歴史
- 遺跡・史跡・文化財
- 民話・伝説
- 民俗・芸能
- 茨木市
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 井原西鶴「好色五人女」、近松門左衛門「大経師昔暦」(1740年改作「おさん・茂兵衛恋八卦柱暦」等については、書籍多数あり。【ウイキペディアなどから】この物語を元に、川口松太郎が小説「おさん茂兵衛」(のち「近松物語」と改題)を下記、1954年に映画も制作された。
- 調査種別
- 内容種別
- 質問者区分
- 登録番号
- 1000295484