レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 登録日時
- 2020/08/10 16:45
- 更新日時
- 2020/12/28 21:30
- 管理番号
- 塩尻556
- 質問
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解決
塩尻から松本を通っている「五千石街道」の歴史と道程を知りたい。わかる資料はあるか。
- 回答
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【資料1】p62~63
「五千石の由来は大坂夏の陣の論功行賞で、松本藩は小笠原秀政・忠脩(ただなが)父子が戦死し、あとを継いだ忠政が松本八万石から播州明石へ移封され、松本へは戸田康長が七万石の領地替えで高崎藩から移された。浮いた一万石は、諏訪と高遠両藩に五千石ずつ分け与えられた。そこで諏訪藩主が東五千石の飛び地の巡見に利用した道が「五千石街道」と呼ばれるようになったともいわれている。」との記述あり。道程は塩尻宿の上町から長畝へ出て、更に中挾から南熊井・赤木を経て竹淵で村井方面から来る善光寺街道(北国西街道)と合流しているとの記述あり。
【資料2】歴史の道を歩くー善光寺街道歩き旅ガイドブックー(NO,0116556564)P16に東五千石街道の地図あり。
【資料3】善光寺街道探訪1ー歴史探訪と地域の宝再発見事業報告書ーp67(NO,0114740103)に「松本市の芳川村井町方面から国道19号を北上し、「平田」の大きな交差点で右方向へそれ、田川沿いに県道を進む。松本藩の領地の一部はかつて、大坂夏の陣の後、諏訪、高遠両藩の管轄になったことがあるが、田川の対岸にはその当時、諏訪藩主が巡見に使った道、東五千石街道があったという。いまの「竹渕橋」辺りがその分岐点だったようだ」との記述あり。
- 回答プロセス
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自館の図書館システムで「五千石街道」と調べる。塩尻市発行の「しおじり学びの道」がヒットした。由来の記述あり。道程は「歴史の道を歩く」のガイドブックに東五千石街道の地図あり。「善光寺街道探訪1」に市民タイムス平成21年6月29日の記事に「竹渕あたりが分岐点」との記述あり。
- 事前調査事項
- NDC
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- 日本 (291)
- 参考資料
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【資料1】塩尻市教育委員会/編 , 塩尻市教育委員会. しおじり学びの道. 塩尻市生涯学習推進本部. (生涯学習ガイドマップ : 1)
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000001-I059318158-00 -
善光寺街道協議会 , 善光寺街道協議会. 歴史の道を歩く : 善光寺街道歩き旅ガイドブック. 善光寺街道歩き旅推進局, 2019-06.
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000001-I096603187-00 -
歴史探訪と地域の宝再発見事業実行委員会 編. 善光寺街道探訪 : 信仰の道・善光寺街道は、峠を越えて次の宿場へ難所の連続だった道をたどり今を考える… 1. 歴史探訪と地域の宝再発見事業実行委員会, 2010. (歴史探訪と地域の宝再発見事業報告集 ; 平成21年度)
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000010777206-00
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【資料1】塩尻市教育委員会/編 , 塩尻市教育委員会. しおじり学びの道. 塩尻市生涯学習推進本部. (生涯学習ガイドマップ : 1)
- キーワード
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- 五千石街道
- 東五千石街道
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000285746