レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2019年8月6日
- 登録日時
- 2019/08/05 16:24
- 更新日時
- 2020/01/04 21:06
- 管理番号
- 塩尻451
- 質問
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未解決
1950~60年頃の塩尻にあった八陽光学という企業を調べている。(誰が中心になって会社を起こしたか、資本金など)
- 回答
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塩尻市誌【資料5】、塩尻市誌別冊【資料4】は日本光学塩尻工場で記載あり。
商工会議所に問い合わせてみるが、会員であった場合は記録が残っているが、会員ではないのでわからないとの事。合併前の会社も会員記録なし。塩尻商工会議所のホームページで歴代役員一覧の議員に八陽光学塩尻工場の方がいたという記載はあるがそれ以上は分からないそう。
塩尻機械金属工業協同組合に聞いてみると何か分かる情報があるかもしれないとのことなのでその旨お伝えしました。
『長野県工場名鑑昭和27年』に記載があるか分からないが長野県立図書館に所蔵があることも伝えました。
- 回答プロセス
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昨年の今頃にも当館に来館し、市誌や郷土資料は見たとのこと。
南信日日や岡谷日日新聞、信毎のデータベースは既に見てきたとのことだったので商工会議所に問い合わせ。
- 事前調査事項
- NDC
- 参考資料
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【資料1】ニコン経営戦略本部広報部ニコンミュージアム/編纂 , ニコン経営戦略本部広報部ニコンミュージアム , ニコンミュージアム. 『ニコン100年史 1』
(p.50「第1章第3節 2-増産体制への対応」1943年 生糸工場を買収、芝工場の精密測定機部門を移転
p.66「第2章第1節 1-会社存続を決定」1945年12月塩尻工場についてGHQから生産継続が許可された。
p.70「第2章第1節 2-大井・塩尻工場の生産再開と苦闘」生産復興運動に連動し、再建要員の多くを現地採用。1948年1月に生産を正式再開。同年6月には本格的量産。
p.71「第2章第1節 3-再建計画と資金調達」事業縮小と人員整理、再建資金確保を行う中でも「大井工場と塩尻工場を除く各工場・倉庫などの処分に着手」とある。
p.80~81「第2章第1節 6-ドッジ不況で工場閉鎖」ドッジラインの金融引き締めで日本が不況になり、業績が悪化。塩尻工場の工場閉鎖・人員整理。塩尻工場の写真と従業員の集合写真を掲載。) - 【資料2】ニコン経営戦略本部広報部ニコンミュージアム/編纂 , ニコン経営戦略本部広報部ニコンミュージアム , ニコンミュージアム. 『ニコン100年史 2』 (p.46「工場今昔5 塩尻工場」に当時の工場や従業員の写真、地図あり。)
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【資料3】塩尻町/編 , 塩尻町.『塩尻町勢要覧 昭和33年版』 塩尻町.
http://iss.ndl.go.jp/books/R100000001-I059161082-00 (p.60「9.商業・工業 (4)塩尻町の主な工場」に「八陽光学塩尻工場」掲載。
当時の所在地「東筑摩郡塩尻町大小屋145番地」) -
【資料4】塩尻市誌編纂委員会/編集 , 塩尻市誌編纂委員会 , 塩尻市.『塩尻市誌 別冊』塩尻市, 1995-00.
http://iss.ndl.go.jp/books/R100000001-I072198067-00 (年表p.156, 159に日本光学や八陽光学の記述あり。) -
【資料5】塩尻市誌編纂委員会/編集 , 塩尻市誌編纂委員会 , 塩尻市.『塩尻市誌 第3巻』塩尻市, 1992-00.
http://iss.ndl.go.jp/books/R100000001-I072608125-00 (p.651~「第4章 工業 三 昭和・平成期」に記述あり。
所在地は当時「塩尻町大小屋145(現 大門六番町3-48)」)
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【資料1】ニコン経営戦略本部広報部ニコンミュージアム/編纂 , ニコン経営戦略本部広報部ニコンミュージアム , ニコンミュージアム. 『ニコン100年史 1』
(p.50「第1章第3節 2-増産体制への対応」1943年 生糸工場を買収、芝工場の精密測定機部門を移転
- キーワード
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- 八陽光学工業株式会社
- 日本光学工業株式会社
- 株式会社ニコン
- 株式会社コパル
- 日本電産コパル株式会社
- 中信社製糸工場
- 共栄社
- 照会先
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- 塩尻商工会議所
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介 事実調査 所蔵機関調査
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000259812