松井鉄夫(1876-1941)は熊本県出身の実業家・政治家です。
京都帝国大法科を卒業後、台湾日々新聞社の記者や南満州鉄道社員などを経て、満州耐火煉瓦工場を創立しました。
その後、1920(大正9)年の第14回衆議院議員総選挙に群馬県第2区(高崎市、定数1)から憲政会公認候補として出馬し、高崎政友倶楽部が公認した寄合町在住・前議員の土谷全次を破って当選しました。
以下、当館所蔵の参考資料です。
群馬県人名大事典 486p
松井鐵夫
“当時、皇居移転論者として知られる。”との記載あり。
群馬県百科事典 856p
松井鐵夫
新編高崎市史 通史編4(近代現代)
第2章大正デモクラシーから15年戦争期の高崎
第2節 政党色を強めた議会・選挙
(1)市会の動き
政党色を強める市会 p.223-225
松井鉄夫衆議院議員が高崎憲政会の理事長になったと記載あり。
(3)政党と国政選挙
輸入候補松井鉄夫の当選 p.234-235
新編高崎市史 資料編10(近代現代II)
54 大正九年の総選挙状況 p.133-134
(『上毛新聞』大正9.4.25)
55 高崎における憲政会県民大会 p.134-135
(『上毛新聞』大正9.7.5)
59 高崎のおける政友・憲政両派の勢力圏 p.138-139
(『上毛新聞』大正13.3.2)
61 高崎における政党勢力 p.141-143
(『上毛新聞』昭和2.8.12)
群馬縣政史 p.662-667
第10章護憲運動時代
(3)清浦特権内閣の誤算
総選挙でみる群馬の近代史(みやま文庫)
第4章小選挙区制下の第14・15回選挙
(1)第14回総選挙 p.83-94
(2)第15回総選挙 p.94-105
この選挙で落選している。
上毛及上毛人 昭和5年 第157号矢島八郎翁銅像建設記念号
二、臨終と葬儀
(ハ)翁の葬儀と弔詞(大正十年十月一日発行上毛及上毛人の記事)
松井衆議院議員 p.37-38
上毛新聞ライブラリー
主な記事は次の通り。
『総選挙情勢』
大正9年4月10日
高崎輸入
非政友会派が松井氏を輸入候補として決定したとあり。
大正9年4月12日
松井氏推薦会
17日に公会堂で推薦会、18日に世界館あるいは高盛座で政見発表の演説会を開催するとあり。
大正9年4月13日
松井氏□事□所
松井氏が事務所を高崎市に設置し、11日に警察署に届け出たとあり。
※□部分は画像不鮮明のため解読できず。
大正9年4月19日
市民有志大会
20日に公会堂で有志大会を挙行するとあり。
大正9年4月20日
松井氏推薦会
23日午後1時から公会堂で推薦会を、25日正午から政見発表演説会を開催するとあり。
大正9年4月21日
松井候補来高
23日に公会堂で行われる推薦会に出席するとあり。
大正9年4月22日
松井氏推薦状
矢島八郎氏が推薦状を21日に市内各有権者に配布したとあり。
大正9年4月24日
松井推薦決議
23日に開催された推薦会についての記事。
25日に高盛座で応援演説会が開催されるとあり。
松井氏推薦状
24日に推薦状を市有権者有志と、憲政会本部それぞれから、有権者に配布するとあり。
大正9年4月25日
松井候補来橋
前橋市入りし、大芝知事を訪問するも不在のため、市内有志を訪問したとあり。
松井派の謀議
23日の推薦会の後、高崎館での同派幹部会に出席し市内有力者を訪問したとあり。
また、憲政会本部の推薦状と松井氏の宣言書が、24日にしない有権者に配布されたともあり。
大正9年4月26日
松井氏単騎運動
松井氏演説会
25日午後1時から高盛座で演説会が開会されたとあり、松井氏の演説以外の内容は次のとおり。
田中富貴司氏の開会の挨拶
矢島八郎氏の「松井候補推薦の経路」
小暮三四郎氏の「松井候補推薦理由」
加藤政之助氏(憲政会総務)の「議会解散及び財政経済を論ず」
奥平昌恭氏(貴族院議員伯爵)の「学友松井氏の為めに応援す」
大正9年4月27日
松井氏演説会
26日の運動と、5月3、4日の第2回応援演説会が催されるとあり。
大正9年4月28日
松井氏演説会
本日午後7時より成田山書院にて小演説会、5月2日世界館にて大演説会が催されるとあり。
小演説会の演説者として、塚本義胤氏(法学士)外とあり。
大正9年4月29日
松井大に活動
28日に市内有権者の訪問を行い、夕刻からは成田山書院での演説会が開催されたとあり。
また、5月2日午後1時より新紺屋町世界館で第3回政見発表演説会を開催し、法学博士小林丑三郎氏他数氏来会とあり。
大正9年4月30日
松井氏演説会
28日午後7時より成田山書院にて演説会が開催され、塚本法学士、松井候補ほかの演説があり、午後10時半散会とあり。
大正9年5月1日
津久居氏推薦状
元高崎連隊中隊長の歩兵大尉津久居平吉氏が、高崎市内有志に推薦状を寄せたとあり。
大正9年5月2日
松井氏演説会
2日午後1時より新紺屋町世界館にて第3回政談演説会を開催し、小林法学博士外数名の応援演説が行われるとあり。
また、1日には市内有権者を毎戸訪問し、八島町、連雀町、本町その他に選挙事務所を設けたともあり。
満州より飛檄
満州の有力者25名が連署して応援状を高崎市有権者に頒布したとあり。
また、応援状の内容もあり。
大正9年5月3日
松井氏演説会
2日午後1時から新紺屋町世界館にて第3回応援演説会が開会されたとあり。内容は次のとおり。
田中富貴寿氏の開会の辞
矢島八郎、法学博士小林丑三郎、前代議士横山勝太郎外数氏の演説
松井候補の政見発表
また、4日午後7時より通町の大信寺にて、県下非政友団有志による応援演説会が開かれるとあり。
大正9年5月4日
松井戸別訪問
前日に引き続き、3日も矢島八郎氏の案内による市北部の戸別訪問を行い、午後は選挙事務所にて運動とあり。
また、4日の応援演説会開催についても触れ、弁士に木暮三四郎他数氏とあり。
大正9年5月5日
松井氏演説会
4日に応援演説会が開催されたとあり。内容は次のとおり。
通町大信寺にて午後7時開催、午後10時半散会。
福地氏、六本木福二郎、木檜三四郎外の応援演説。
松井候補の挨拶。
大正9年5月6日
松井攻勢
これまでの活動と、現状についての記事。
また、高崎市非政友団および各町組長有志が、5日、有権者に推薦状を配布したとあり。
さらに、8日ごろ高盛座にて応援演説会を開くともあり。
大正9年5月7日
勢力日に加る
奥平伯、柳平伯外数氏の推薦状が、6日、市内有権者に配布されたとあり。
また、7日午後1時公会堂にて講演会を開き、松井候補が満洲における実業その他について講演するとあり。
松井氏以外の講演については次のとおり。
亜細亜に新しく振興せる列国の事情(志賀重昂)
題未定読売新聞主事(大庭柯公)
同国民新聞外交部長(馬場恒悟)
同都新聞主筆(大谷誠夫)