レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2018年01月24日
- 登録日時
- 2018/01/27 10:28
- 更新日時
- 2018/01/27 10:30
- 管理番号
- いわき総合-地域539
- 質問
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解決
明治9(1879)年に、白井遠平らによって磐城郡上小川村字戸渡(とわだ)に設立された「牧牛共立社」について知りたい。
- 回答
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牧牛共立社については、次の資料に記述がありました。
【資料①】「牧牛共立社と戸渡牧場」(関内幸介・太田史人・関内裕人)(『潮流 第35報』P35-66)
【資料②】「牧牛共立社と戸渡牧場」(関内幸介)(『自立・循環の村へ』P26-29)
【資料③】『いわき市史 第3巻』P61-63
【資料④】「明治十年第一回内国勧業博覧会と牧牛共立社」(関内裕人)(『潮流 第37報』P126-149)
【資料⑤】『牧牛共立社史料集 第一巻』(関内幸介)
《牧牛共立社について》
牧牛共立社は、明治9(1879)年3月8日、上小川村の白井遠平、草野庄蔵、草野高蔵、草野紋十郎らによって設立されました。同社は、明治政府の殖産興業政策をうけ、官民一体となって事業に取り組み、牧畜、乳製品の生産を行いました。
福島県における最初の牧畜会社で、磐城郡上小川村字戸渡新田に牧場、牛舎、居宅が新築され、戸渡牧場が開設されました。
明治10年に開催された「第一回内国勧業博覧会」では、戸渡牧場産の粉酪(粉ミルク)を出品し、龍紋賞牌を受賞しました。同社では乾酪(チーズ)も生産していました。
株主や事業活動については、【資料①】「牧牛共立社と戸渡牧場」(『潮流 第35報』)に詳しい記述があります。
《所在地について》
【資料⑤】『牧牛共立社史料集 第一巻』掲載の「牧牛共立社定款」第四条には、「本社は、磐城国磐城郡上小川村字戸渡に置き、牛舎及事務所等の地を除くの外、一千町歩の地をとし、牧場と定め、岩代国安達郡石筵村に予備牧場一千町歩の地を置き…」とありました。
また、同社が明治26年7月、福島県に提出した報告書には、「本者の位置 磐城国磐城郡上小川村字戸渡二十二番地」とありました。
大須賀筠軒の『磐城郡村誌』にも牧牛共立社の記述があり、これによると「中戸渡」とありました。
【資料①】「牧牛共立社と戸渡牧場」(『潮流 第35報』)では、本社の所在した場所を、下戸渡地内の吉田一民宅にあったと推定していますが、所在地については調査中のようです。
《写真など》
【資料①】「牧牛共立社と戸渡牧場」(『潮流 第35報』)P60-61には、牧牛共立社略図と建物配置図、また、P63には本社が所在したと推定される下戸渡地内の吉田一民宅の写真が掲載されています。
《牧牛共立社の解散とその後》
明治26年の末、安達郡の株主たちから株券譲渡を請求され、翌27年1月8日、福島県に解社届が提出され解散します。同社の資産は、白井遠平の女婿で、草野紋十郎の長男の登(みのる)に譲渡され、栄駿舎(のちの養駿舎)として牛馬の牧場を開設しました。登は、加藤木周太郎らと磐城牛乳舎を経営し、当地方の乳業振興に尽力しました。
- 回答プロセス
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1.資料を調査
上記回答のとおり。
- 事前調査事項
- NDC
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- 畜産経済.行政.経営 (641 9版)
- 畜産史.事情 (642 9版)
- 参考資料
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- 【資料①】『潮流 第35報』[K/051/チ-35・1111954408]
- 【資料②】『自立・循環の村へ』[K/291/ト・1114610247]
- 【資料③】『いわき市史 第3巻 近代Ⅰ』[K/210.1-1/イ・1110038526]
- 【資料④】『潮流 第37報』[K/051/チ-37・1111989719]
- 【資料⑤】『牧牛共立社史料集 第一巻』[K/641/ボ・1114086539]
- キーワード
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- 牧牛共立社
- 畜産 いわき
- 白井遠平
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000229227