レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2019年06月02日
- 登録日時
- 2019/08/21 16:44
- 更新日時
- 2020/02/29 15:06
- 管理番号
- 吹-70-2019-006
- 質問
-
解決
平塚らいてう(ひらつか らいちょう)の石碑が大阪府吹田市千里山西(すいたしせんりやまにし)5丁目にあると聞いたが、どこにあるか知りたい。
- 回答
-
平塚らいてうの石碑は吹田市内では確認できなかったが、千里山西5丁目にある「婦人の家」の邸内にある石碑のことではないか。
- 回答プロセス
-
まず、平塚らいてうについて調べるために、当館所蔵の『人物レファレンス事典 郷土人物編[第1期]そ~ん』(日外アソシエーツ編集部/編 日外アソシエーツ 2008)を引くと、「平塚らいてう」の項目に以下が記されており、人物詳細を知ることができた。
「大正・昭和期の婦人運動家、評論家・日本婦人団体連合会名誉会長、新日本婦人の会顧問。「青鞜」を発刊、女性解放宣言として反響をよぶ。母性保護論争を行い、新婦人協会設立。」
次に、平塚らいてうに関する当館所蔵の資料や、当館が作成している吹田市の郷土情報をまとめた「キーワード表」にもあたって調査したが、平塚らいてうと吹田市との関連性はわからなかった。
また、インターネットで「平塚らいてう」「石碑」というキーワードで検索したが、吹田市内に石碑の存在は確認できなかった。
次に、当館の地域資料の棚を探して、『石の声碑の語り』(吹田市市長室広報課/編集 吹田市市長室広報課 1992)を確認すると、p54の「婦人の家」の項目内に平塚らいてうに関する以下の記述があった。
「一方婦人の家では、「元始、女性は太陽であった」という、有名なことばを遺した平塚らいちょうの遺品をあずかり、毎月十日に公開するなどの活動をつづけている」
この本によると、「婦人の家」とは1920年代から1940年代に関西大学で教鞭を取っていたマルクス主義経済学者・辰巳経世(たつみ けいせい)氏の邸宅であるとのこと。
改めてインターネットで「吹田」「婦人の家」というキーワードで検索すると、『すいた市民しんぶん』(すいた市民しんぶん刊行委員会/編集発行)16号の記事が見つかった。
「すいた生活」吹田市労働組合連合会>すいた市民しんぶん(刊行委員会 発行)>『すいた市民しんぶん 16号』(すいた市民しんぶん刊行委員会/編集発行 2010.1)11面(最終確認2020.1.24)
この記事によると、婦人の家は100坪の土地に40坪ほどの平屋建てで、婦人運動の拠点として大きな役割を果たしていたという。
しかし、2004年頃に近隣で発生していた連続放火事件の影響と老朽化を懸念して邸宅は取り壊したため、現在は石碑と書庫のみが残っているということであった。
2019年5月31日に現地を訪れてみたが、空き地の中に石碑と書庫と見られる小さな建物のみがあった。
敷地内には入られないようになっており、道路から石碑の表側のみ見ることができた。
これらのことから、質問者が聞いたのはこの石碑のことではないかと推測される。質問者には「婦人の家」の石碑が該当すると思われることと、現在の現地の様子を伝えた。
- 事前調査事項
- NDC
-
- 個人伝記 (289)
- 日本 (291)
- 参考資料
-
-
吹田市市長室広報課 編 , 吹田市. 石の声碑の語り・続セピア色の写真から. 吹田市市長室広報課, 1992.
http://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000002167511-00 -
すいた市民しんぶん. すいた市民しんぶん刊行委員会.
http://iss.ndl.go.jp/books/R100000004-I001156240-00 -
日外アソシエーツ編集部/編 , 日外アソシエーツ. 人物レファレンス事典 郷土人物編[第1期]そ〜ん. 日外アソシエーツ, 2008.
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000001-I005923671-00 , ISBN 9784816921223
-
吹田市市長室広報課 編 , 吹田市. 石の声碑の語り・続セピア色の写真から. 吹田市市長室広報課, 1992.
- キーワード
-
- 平塚らいてう(ひらつか らいてう)
- 大阪府(おおさかふ)
- 吹田市(すいたし)
- 千里山(せんりやま)
- 石碑
- 婦人の家(ふじんのいえ)
- 辰巳経世(たつみ けいせい)
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000260365