レファレンス事例詳細(Detail of reference example)
提供館 (Library) | さいたま市立中央図書館 (2210012) | 管理番号 (Control number) | 中央-1-0021403 | ||||||
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事例作成日 (Creation date) | 2020年4月13日 | 登録日時 (Registration date) | 2020年09月02日 15時06分 | 更新日時 (Last update) | 2021年01月25日 16時35分 | ||||
質問 (Question) | 鎌倉時代前期の御家人・足立遠元(あだち・とおもと)及び娘(北条時政、もしくは時房の正室)について知りたい。 特に、足立遠元の屋敷跡に石碑、説明板があるかどうかや、屋敷跡の他に足立遠元、娘ゆかりの史跡、寺院、神社があるかどうかを知りたい。 足立遠元、娘に関連した図書、論文などがあれば、タイトル、発行元、発行年などを教えてほしい。 | ||||||||
回答 (Answer) | 足立遠元館跡についての資料8冊、足立遠元・足立神社についての資料7冊、足立遠元の娘についての資料4冊を紹介した。 足立遠元の娘に関する記述はいずれも詳細は分からず、また嫁ぎ先についても諸説あった。 | ||||||||
回答プロセス (Answering process) | (足立遠元館跡について) ・『中世武蔵人物列伝』埼玉県立歴史資料館/編 さきたま出版会 2006年 p70‐72「足立遠元」に足立遠元館跡についての説明あり。 ・『埼玉ふるさと散歩 さいたま市』秋葉一男/編 青木義脩/編 さきたま出版会 2003年 p103‐112「殖田郷の浪漫を訪ねる」に関連記載あり。 ・『埼玉ふるさと散歩 大宮市』サンケイリビング/編 さきたま出版会 1980年 p129‐136に、遠元館跡といわれる「あだちどの屋敷」と足立神社についての記述がある。 ・『大宮市史 第2巻』大宮市役所 1971年 p373‐375に「足立遠元館跡」あり。 ・『大宮のむかしといま』大宮市 1980年 p34‐37「足立氏」に足立館跡の記述と写真あり。 ・『うえみず-私達のふるさと』「うえみず私達のふるさと」刊行委員会/編 植水郷土史研究会 1996年 p153‐155に「足立遠元館跡」の項目、p170‐171に「足立神社(飯田)」の項目あり。 ・『大宮をあるく-Guide book-2』大宮市教育委員会/編集 [大宮市教育委員会] 1989年 p34‐50「古代殖田郷を訪ねて」に関連記載あり。 ・『武蔵武士 下』成迫政則/著 まつやま書房 2004年 p265‐292「足立氏」にさいたま市の足立館跡についての記述がある。 (足立遠元、足立神社について) ・『埼玉人物事典』埼玉県教育委員会/編集 埼玉県 1998年 p20「足立遠元」の項には、半ページほど人物紹介あり。 ・『武蔵武士』渡辺世祐/著 八代国治/著 有峰書店 1971年 p232~238「第13章 足立藤内右馬美允遠元」には、「世系」、「街賢門の奮闘」、「友愛の情」、「旧主に対する情誼」、「公文所寄人となる」、「尊重されたる宿老」、「子孫」の7項目について詳しい記述あり。子孫の項に娘についての記述はなし。屋敷跡についての記述もなし。 ・『埼玉県人物誌』加藤三吾/著 歴史図書社 1976年 p55「足立藤内右馬允(うまのじょう)遠元」の簡単な説明あり。 ・『埼玉県の歴史散歩』埼玉県高等学校社会科教育研究会歴史部会/編 山川出版社 2005年 p221に足立神社について記述あり。 ・『ふるさと西区 水と緑と花の12景』西区区民会議/編 さいたま市西区役所コミュニティ課 2013年 p10「足立神社」あり。 ・『武蔵の古社』菱沼勇/著 有峰書店新社 1981年 p325~332「足立神社」あり。 ・『埼玉の神社 北足立 児玉 南埼玉』埼玉県神社庁神社調査団/編 埼玉県神社庁 1998年 p200~201「足立神社 大宮市飯田五四(飯田字観音前)」に足立神社の所在について記載あり。 (足立遠元の娘について) ・『大宮市史 第2巻』大宮市役所 1971年 p235~243「足立氏」に「遠元の娘は北条時政に嫁しており、その子に時房、時直があり、北条氏の外戚ともなっている」とある。 ・『畠山重忠公の血脈』宮之原研/著 サンケイ新聞データシステム(制作) 1988年 p287~288「重忠の夫人たち」に「重忠の妻のうち正室は、北条時政の娘(政子の妹に当たる)であったらしい。(中略)次に、重忠の夫人と言われている方は、足立遠元(剣術師範か)の娘である。」とある。 ・『畠山重忠』貫達人/著 吉川弘文館 1987年 p175に「重忠の妻妾でわかっているのは、北条時政のむすめと安達遠元のむすめである。重忠と一緒に死んだ小二郎重秀は、その時に二十三歳で遠元のむすめが母であった」とある。 ・『武蔵の武士団』安田元久/著 有隣堂 1984年 p92~104「足立氏の系譜と足立郡」の項目の中に「足立氏系図」があり、遠元の子として「女子(畠山重忠妻)」「女子(北条時房妻)」とある。ここでは、「時政」ではなく「時房」の妻となっている。 | ||||||||
事前調査事項 (Preliminary research) | 『日本歴史地名体系 11 埼玉県の地名』(平凡社)によると、さいたま市西区植田谷本に、足立遠元の屋敷跡といわれる場所がある。 | ||||||||
NDC |
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参考資料 (Reference materials) | |||||||||
キーワード (Keywords) |
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照会先 (Institution or person inquired for advice) | |||||||||
寄与者 (Contributor) | |||||||||
備考 (Notes) | |||||||||
調査種別 (Type of search) | 文献紹介 | 内容種別 (Type of subject) | 郷土 人物 | 質問者区分 (Category of questioner) | 社会人 | ||||
登録番号 (Registration number) | 1000286642 | 解決/未解決 (Resolved / Unresolved) | 解決 |