レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2017年01月09日
- 登録日時
- 2017/01/22 16:20
- 更新日時
- 2018/08/16 14:36
- 管理番号
- 相大-H28-065
- 質問
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解決
忠臣蔵の討入りの時の装束を知りたい。歌舞伎などの衣裳ではなく、実際に身につけていたものを出来たら絵や写真で見たい。
- 回答
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揃いの火事装束は歌舞伎などで見られる創作で、実際には黒小袖、軽袗(カルサン)に鎖帯、鎖帷子(クサリカタビラ)など準備できる範囲で用意した火事装束風のばらばらの装束であった。
両袖に白い布を縫いつけ、右の後ろに姓名を書いた。火事頭巾の中に甲の鉢金、しころを縫いつけたともあった。
下記の資料とインターネット情報を提供した。
『週刊江戸37』
『絵図でさぐる武士の世界Ⅲ』
『忠臣蔵大全』
『なぞ解き忠臣蔵』
『元禄時代と赤穂事件』
『図説忠臣蔵』
- 回答プロセス
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書架で「忠臣蔵」「赤穂事件」「江戸」関連の本を探す。
忠臣蔵について書かれている資料は多いが、挿絵・絵巻などは歌舞伎の影響もあり、そろいの火事装束で描かれている。
『週刊 江戸37』 ディアゴスティーニ・ジャパン 2010 【s32780827 210.5】
副題 四十七士討ち入り 忠臣蔵・後編
p4 実際の装束として挿絵あり。
『絵図でさぐる武士の世界 3 武芸・事件』 武士生活研究会/編 柏書房 1982 【s07451230 R210.5】
p94 「赤穂浪士討入りの図 安藤広重画」(神奈川県立博物館蔵)の説明に「火事装束は歌舞伎などで見られる創作で実際には軽袗に鎖帯、鎖帷子などばらばらの服装であった。」 との記述あり。
『忠臣蔵大全』 藤田洋/著 ロングセラーズ 2016 【s33452798 210.52】
p81 「雁木模様の討入り装束はウソ」の項に、「実際にはこの模様は使われていない。人形遣いの吉田文吾が考案したものが広まったのである。」との記述あり。
p85-86「これがホントの討入り装束」の項に「黒小袖の両袖に白晒を縫いつけ、右のうしろにめいめいの姓名を書いた。また、襟のうしろに金箔の革で姓名の名札をこしらえてつけた。着込みは厚手の布地や晒でこしらえ、帯には鎖を入れた。羽織の上に襷をかける、火事頭巾の中に甲の鉢金、しころを縫いつけるといった恰好である。」との記述あり。
『なぞ解き忠臣蔵』 祖田浩一/著 東京堂出版 1998 【s16082562 210.52】
p166-168「どういう道具を揃え、どんな装束であったのか」の項に装束についての記述あり。
「全員が揃いの装束を身に着けていたわけではない。黒っぽい色に統一し、火事装束風であっただけで、各々が準備できる範囲内で揃えた。」とあり。
『元禄時代と赤穂事件』 大石学/著 角川学芸出版 2007 【s26542902 210.52】
『図説忠臣蔵』 河出書房新社 1998 【s16089708 210.52】
上記2冊は、装束についての具体的な記述はなかったが、赤穂事件の背景を知るために利用者に提供した。
インターネットGoogleで“討入り 装束”で検索する。
「文化デジタルライブラリー」(日本芸術文化振興会)のサイトがヒットする。
「忠臣蔵と火事の関係」のページに実際の装束についての記述と、堀部安兵衛着用の装束(赤穂大石神社所蔵)の写真あり。
http://www2.ntj.jac.go.jp/dglib/contents/learn/edc21/yomoyama/y5/yo3.html(2017.01.22最終確認)
注:【 】は自館の資料コードと請求記号
- 事前調査事項
- NDC
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- 日本史 (210 9版)
- 参考資料
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- 『週刊 江戸37』 ディアゴスティーニ・ジャパン 2010
- 『絵図でさぐる武士の世界 3 武芸・事件』 武士生活研究会/編 柏書房 1982
- 『忠臣蔵大全』 藤田洋/著 ロングセラーズ 2016
- 『図説忠臣蔵』 河出書房新社 1998
- 『なぞ解き忠臣蔵』 祖田浩一/著 東京堂出版 1998
- 『元禄時代と赤穂事件』 大石学/著 角川学芸出版 2007
- キーワード
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- 忠臣蔵
- 赤穂事件
- 装束
- 討入り
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 歴史
- 質問者区分
- 学生
- 登録番号
- 1000207144